第8話 警視総監の苦悩 (1/1)
「一体、いつどこに現れるというのだ」 仮の警視総監席で警視総監、遠山勝元は呟いた。警視庁は桜田門近くの賃貸ビルを借り受け、そちらに引越しをしていた。渋谷署の面々はさぞホッとしたことだろう。 一方、遠山は内心に強い焦燥感を抱いていた。しかし、大将たる者、どんな時も泰然自若でいなくてはならないという矜持を持っている彼は、席にまっすぐと背を伸ばして座っていた。そしてかすかな微笑。「何を笑っておられます、総監」 副総監の甲斐耀蔵が急に現れて嫌味を言った。足音も立てずに嫌なやつだ。心の中で遠山は思った。「総監、やつらは二ヶ月間、全く動きがありませんな」「そのようだ」「私は思うのですが、やつらはもしかして少人数なのではないかと」「ほう。なぜに?」「少数だけに準備に手間がかかるのでは?」「なるほど……だが、少ない人数で、警視庁の庁舎を破壊することができますか?」「例えばです」「なんでしょう」「清掃員に化けていたとは考えられませんか」「な、なるほど!」「早速、捜査課に当時清掃を業務委託していた会社を当たらせましょう」「うん、任せます」「では」 甲斐は立ち去った。「うぬ。甲斐耀蔵出来るな。しかし……」 再び、遠山は微笑した。
「新丸子課長、副総監からの命令です。警視庁が清掃を委託していた会社を割り出し、職員の名簿を入手しろとのことです」「あいよ。祐天寺係長、庶務部に確認を取ってきてくれ」「かしこまりました」「課長、そんな雑用は祐天寺係長じゃなくて、僕に言ってくださいよ」 綱島が立ち上がって、叫んだ。「うるせい、勉強バカ。こういう仕事にはベテランのコツがいるんだよ」 新丸子は言った。「そんなあ、大した仕事じゃないでしょう。記録を見ればいいんだから」「綱島。その記録ってやつはどこにあるんだい?」 祐天寺が尋ねる。「それは、パソコンとか、ファイルとか……」「祐天寺係長、このバカの相手は不要ですよ。なあ、綱島。警視庁の庁舎って今どうなっているんだっけ?」「そりゃあ、木っ端微塵に……ああそうか! データなんてないんだ」「気づくの、遅すぎ」 隣の席の日吉慶子が蔑みの目で綱島を見た。綱島は美しいと思った。やっぱりバカのようだ。
一時間後、祐天寺が戻ってきた。「課長、遅くなってすみません」「いやいや、慌てる件じゃない。一服どうだ?」 新丸子が胸ポケットから煙草を出すと、「課長〜、室内禁煙でーす」 と慶子が言う。「チェッ、優秀な部下をねぎらおうと思ったのに」「いえ、課長。私も禁煙を始めました。慶子くんに嫌われたくないですから」「なんだって! 係長まで裏切ったの……まあいいや。結果を頼む」「はい。庶務部に行ったんですが、やはり全てが電子化されていまして、知っているものが誰もいなかったんです」「うーん、デジタル化の弊害だな」「それで、今日休んでいる人間を尋ねたんです。そうしたら、施設管理の女性アルバイトが庁舎縮小化に伴う臨時休暇で休んでいたんです」「それだ!」「ええ、彼女に電話したら社名を覚えていました」「なんて言う社名だ?」「白熊管理株式会社」「ヒットだ!」 新丸子は立ち上がった。「課長、落ち着いてください。早速、ネットで『白熊管理株式会社』を検索したところ、ホームページが出ました。しかし、そこには『当社は廃業いたしました』とありました。廃業日は爆破の日です」「ゴーストカンパニーか?」「一様、登記簿も当たって見ましたが、いい加減なもので『代表取締役 白鵬翔』となってました。いい加減なものですよ。法務局も」「うーん。無駄足を踏ませてしまったな。申し訳ない。だが、『白熊』このキーワードは重要だ。DNA検査で導き出されたキーワードも『しろくま』。無関係なわけがないぞ。俺は日吉と鹿児島に行ってくる。祐天寺係長、課長代理を頼む」「はい」「ずる……」 綱島はグレた。
「そうか、清掃委託の会社は倒産していたのか」 甲斐が口を開く。「はい。明らかに、今回の爆破を狙ったペーパーカンパニー、ゴーストカンパニーのようです」「その会社を本庁に紹介したのは誰だ?」「あっ、申し訳ございません。とりあえずのご報告と思い、そこまで調べていませんでした」「迂闊だな。祐天寺くん。さっそく調査したまえ」「はい」 祐天寺はハンカチで額を拭った。まさか、『白熊管理株式会社』を本庁や警察庁に紹介したのが、殺された前の警視総監だとは言えなかった。いつかは言わねばならないのだろうが、できれば言いたくない。前の警視総監は祐天寺が新人の時の捜査一課長だった。自分のミスをもみ消すなど、たいへんお世話になった恩人だったのだ。