第5話 小夜子とギャル谷と甘味と (1/2)

小夜子と若松は言うだけ言って、碧と魅宝に後で家に来るよう言い渡した。 何事もなかったかのように、颯爽と下校していく彼らに、碧と魅宝はどうしたらいいか分からない。 ただ、頭の中にある異常だけが、それが現実だと知らせてくれる。

「ご主人様、魅宝は、本当は悪い子なんです……。わたし、ほんとうは、人を食べたり、他にもたくさんのことをしてて」

魅宝が強制的に知らされたのは、己が何者であるか、だ。 九つに分割された大妖怪、その一つが魅宝である。新たな名前と新たな姿、狐という形だけを残して、大幅に力を弱めさせられた憐れな式。

「俺も、訳が分かんねえ。こんなヤツが前世かよ」

時の退魔師にその野望を阻止され、黄泉帰らぬよう名前すら消された外法陰陽師。 彼は、自らの悪行による死後の裁きを恐れた。 死を恐れるあまりに造りだした術式こそが、<ruby><rb>六式転送</rb><rp>(</rp><rt>ろくしきてんそう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>魅宝天</rb><rp>(</rp><rt>たからのてん</rt><rp>)</rp></ruby>。完成した暁には、死を克服し現世に戻る魂魄の蘇生術である。

「ご主人様、魅宝はいやです。あんなものに、戻りたくない」

赤子の肉を喰らい、人を焼いて<ruby><rb>呵々大笑</rb><rp>(</rp><rt>かかたいしょう</rt><rp>)</rp></ruby>する。 魅宝の真の姿はそのような大妖怪である。

「ああ、戻りたくないよな。俺もだよ」

ありとあらゆるものを犠牲にしてなお、自らの死だけを恐れた外法陰陽師。 魅宝と出会った後のことは、全て嘘だった。 茶釜狸と吸血鬼のベス、あの二人も同じように存在を歪められている。碧に無償の愛を注ぐように、離れないように縛られている。

「でも、あのお方なら」

「着物番長、なんか凄かったしな」

あの鬼を転生させた。 碧には意味が分からない。 だけど、深夜アニメの転生と同じように考えたとしたら、怨霊みたいな姿から美女に変わったのだから、間違っていないのかもしれない。 「そうだな、頼ってみようぜ」

「はい、ご主人様」

一つの物語はこうして崩壊した。

一方そのころ、小夜子と若松は駅近くの商店街に赴いていた。

「ふむ、今日はなんぞ鍋物でも食いたい気分じゃ。若松や、わらわはそこのミスドでポンデリングなどを摘まんで暇を潰しておるぞ」

「へい、お嬢様。かしこまりました」

若松は商店街の八百屋へ走り込んでいく。何か良い出物を捜すのだ。 小夜子の前世では考えられぬものが、令和の時代にはある。 その一つが、ポンデリングであった。 このような食感のドーナツがかつてあったであろうか。いや、無い。 これほどに軽くふんわりとして、優しい味わいのドーナツなど無かった。 無かったのである。 ポンデリングを二つと、外せないオールドファッションを一つ。そして、抹茶ラテを頼んで席に赴く。 セルフサービスについては致し方なし。そのような良識が、小夜子にはあった。

う、美味い。

どうしてこんなに美味いのか。 ポンデリング。 菩提樹のたもとで入滅せんとする釈迦に捧げようものなら、悟りは遥か宇宙の彼方に遠のくほどの美味である。 二つも食べても千円に届かず、全国展開するミスド。妖物などより、よほど恐ろしいではないか。 次のポンデリングに手を伸ばす前に、オールドファッションで箸休めと洒落込む。 創業当時からあるという、この米国イズム溢れるカロリーの怪物よ。これにチョコレートをかけたものまであるが、あれは贅沢というもの。 ポンデリングが最終的な進化であるのならば、ここは原点に戻るべきだ。 食事を楽しむこともまた、一つの行である。 小夜子は幾万の餓鬼を喰らったことで<ruby><rb>腹中</rb><rp>(</rp><rt>ふくちゅう</rt><rp>)</rp></ruby>に餓鬼道を持つ。故に、食事は<ruby><rb>施餓鬼</rb><rp>(</rp><rt>せがき</rt><rp>)</rp></ruby>となり、その<ruby><rb>功徳</rb><rp>(</rp><rt>くどく</rt><rp>)</rp></ruby>にて霊力を得ているのであった。 腹中の餓鬼道にやる施餓鬼は、大周天を参考に小夜子が考案したオリ外法である。

「やっと見つけた。番長っ、なんで消えたの。どうやったの。ねえっ、あの人体消失イリュージョンってなんなの」

ミスドに走り込んできたのはギャル谷である。 原付で町中を捜しまわっていた。

「これ、そう大声を出すでない。せっかくのポンデリングを前に、荒神のような振舞いはよさぬか」

「あっ、ポンデリング。もーらい」

ギャル谷は遠慮なく手を伸ばして、ポンデリングにかぶりついた。一つ一つあのコブを味わうこともなく、大口でかぶりつくとは、なんと浅ましきこと。

「……」

殺すぞ。

「それより番長って、どうやって消えたの!? なに、超能力とかそういうの」

殺すぞ。

「ありがと、すぐ食べちゃうから待って。んぐんぐ、美味し。ごちそうさま。それより、あれって手品とかじゃないって、なに、なんなの」

殺そう。

小夜子は今度こそ凄絶な笑みを浮かべた。 右手に奇怪な印を結び、口を大きく開けると力ある言葉を紡ぐ。はずであった。

「勝手に食べたの怒った? ごめん、これあげるから許して」

お口あーん、と勘違いしたギャル谷は、懐から取り出した小分け包装の袋菓子、越後製菓【ふんわり名人きなこ餅】を素早く剥いて一つを小夜子の口に放り込んだ。 市販の袋菓子の限界を超えたふんわり感で、ファンの多いお菓子である。しかし、発売が近年であることと、袋菓子に興味の無かった小夜子はその存在すら知らなかった。

美味い。 まさか、ギャル谷ごときがこのようなものを持っているとは。

「……よこせ」

小分け包装であるがゆえに、ギャル谷のむいたパッケージにはあと五つほど残っている。小夜子の視線が残るふんわり名人きなこ餅に吸い寄せられていた。

「ごめんね、つい食べちゃった。それよりあれ何、超能力? ケンカ強いのもそれ?」

ケンカと呼ぶほどのことはしていない。女子グループに囲まれたので優しく転がしただけだ。その証拠に、彼女たちには尻もちをついたという程度の痛みと、生きながら地獄界を覗いた恐怖しか与えていない。

「あれは<ruby><rb>縮地</rb><rp>(</rp><rt>しゅくち</rt><rp>)</rp></ruby>の法じゃ。元々は早く歩くだけのものじゃが、わらわは<ruby><rb>位相</rb><rp>(</rp><rt>いそう</rt><rp>)</rp></ruby>を踏み越え使っておる」

位相の違う世界とは、【霧の世界】や【影の世界】と呼ばれる現実と薄皮を隔ててつながる別の世界を示す。これらは【あちら側】と違って、移動手段が限定された基底現実と地続きの場所にすぎない。

「えっ、シュクチ、全然分かんねーし」

「で、この美味しいものはなんじゃ」

「ふんわり名人きなこ餅。そこのドラッグストアで売ってるよ。それより、なに、番長ってあれ、なんかほら、深夜アニメの転生したとかそういうヤツ!?」

表情は崩さなかったが、小夜子は驚いた。

ギャル谷を下らぬ凡人と見ていたが、アニメがどうこうはさておき、言い当てた。小夜子が得た力の源泉とも呼ぶべき【転生】を、何も無いところから言い当てたのだ。

この世に偶然など無い。

人がそう捉えるだけで、全ては必然で出来ている。シュレディンガーの猫とは、必然の猫であり、必然であるがために存在し得ない。

「ギャル谷や、わらわと出会ってしまったのか」

<ruby><rb>小</rb><rp>(</rp><rt>・</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>夜</rb><rp>(</rp><rt>・</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>子</rb><rp>(</rp><rt>・</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>が</rb><rp>(</rp><rt>・</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>出</rb><rp>(</rp><rt>・</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>会</rb><rp>(</rp><rt>・</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>っ</rb><rp>(</rp><rt>・</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>て</rb><rp>(</rp><rt>・</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>し</rb><rp>(</rp><rt>・</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>ま</rb><rp>(</rp><rt>・</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>っ</rb><rp>(</rp><rt>・</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>た</rb><rp>(</rp><rt>・</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>。</rb><rp>(</rp><rt>・</rt><rp>)</rp></ruby>

「え、なにそのポエム」

「これもまた必然であれば、わらわの敵が顕れるころには全て分かろうものか」

未来だけは知り得ない。 いかに小夜子が<ruby><rb>常</rb><rp>(</rp><rt>じょう</rt><rp>)</rp></ruby>の理を超えた魔人であろうと、それだけは現世の内に止まる。だからこそ、滅ぶ宿命を背負ったのか。 魔戦を幾多超えてなお、自らの宿命からは逃れられぬか。

「それより、シュクチってなんなの。マジで教えてって」

「道術の一つで神仙が使うものじゃ。仙骨さえあれば、多少の修行で使えるようになるのう」

「マジっ、センコツって分かんねえけど、あたしにも使えんの!?」

「ギャル谷に仙骨は無いから無理じゃ」

「ええー。マジかぁ。じゃあ、他の無いの? なんかスゲーの」