第7話 小夜子と契約とお泊り (1/2)
碧は二秒で決断した。
「あ、買ってくれるならぜひ」
小夜子は少しだけ呆れた顔をした。
「ううむ、外法陰陽師の記憶が戻っているというのに、簡単にわらわとの取引を決められるとはのう」
碧に湧いた記憶は、あまりにもクソすぎる。常人ならば、思い出すことすら苦痛なものだ。 混乱はしたが、平然としている自分自身も異常だが、それを受け入れている自分がいる。 結局のところ、自らの本質とは平坦という一言に尽きると、碧は理解してしまった。
「こんなもん持ってて、前世だかなんだかに今の自分を食われるくらいなら全部手放すよ。その方が得だ」
最初は本当に混乱して、混ざったあとは困惑しているフリをしていた。魅宝の手前、以前の自分を演じていた碧だが、今はその必要もない。
「なるほど、魂が無いというのは、そういうことであったか」
小夜子は面白そうにそう言った。
いかなることにも平坦な心。いや、そもそも心が無いのかもしれない。今の碧にあるのは思考でしかない。
例えば、外法陰陽師が寒村から買い付けた妊婦の腹を裂いた時の記憶。 臨月の腹を裂いて赤子を取り出し、呪具へ加工したことも、特別な感情の無い映像として頭の中で反芻できる。 外法陰陽師が感じた罪悪感と、自らを高めるための欲求でそれを誤魔化す様も、反芻した碧には何も響かない。
「俺は前世の俺を再生させるための入れ物、なんだよな? 入れ物に魂があったら入れないから、魂の無い子孫を作るよう、自分の子供にそういう<ruby><rb>呪</rb><rp>(</rp><rt>しゅ</rt><rp>)</rp></ruby>をかけた」
魂、魂魄、言葉はなんでもいい。多少の違いはあれど、それはだいたい同じものを示している。
「なるほどのう。まさしく外法じゃ。【あちら側】へ行かぬための蘇りなどという呪にはなんの価値もないが……」
小夜子の口元が弧を描く。 ギャル谷がいれば絶対に見せない歪な笑み。少女らしさなど欠片もなく、その美貌が突如として怪物に変じたかと見紛う凶相であった。
「ん、番長が欲しいのはそっちじゃないのか?」
その凶相も、碧には怖い顔に変わったという変化としか受け取れない。
「<ruby><rb>一門</rb><rp>(</rp><rt>ひとかど</rt><rp>)</rp></ruby>の魔道士相手であれば、侮辱に当たるぞ。言葉には気をつけよ。魂が無き者の言うことであるし、今回は許してやる。魂あってのものであれば、引き裂いておったぞ」
「すまない。理解できなかった」
「御堂碧や。お前を生み出した呪こそ、わらわが欲しいもの。生まれつき魂の無い人間を造りだし、疑似的な魂魄で人として動かす恐るべき呪。わらわを以って、その術式を把握できぬ」
魂無き人間を造りだし、疑似的な魂魄を宿して人間のふりをさせる術。
疑似的な魂魄、それがいかなるものか分かろうか。 錬金術を用いて<ruby><rb>人造人間</rb><rp>(</rp><rt>ホムンクルス</rt><rp>)</rp></ruby>を作れば、【人造人間の魂魄】が宿る。 人造人間には魂が無いとされている。それは、浅はかな魔道士の誤った理解だ。人とは違う種類の魂魄が、どのようなものにも命が生まれた時点で宿る。
小夜子は凶悪可憐な笑みのまま言葉を続けた。
「あのチョビ髭小男の総統だけが、先天的に魂の無い人間であった。アレと同じものを人の手で生み出すなど、まさしく魔に愛されたとしか思えぬ御業よ。金でよいなら、今ある全ての財を渡してもよい」
小夜子の言葉は大きく聞こえるが、その実、詐術をしかけている。<ruby><rb>吝嗇</rb><rp>(</rp><rt>ケチ</rt><rp>)</rp></ruby>は小夜子の欠点で悪癖であった。
小夜子の全財産は十億円を超える。だが、それだけだ。 金などという程度の知れたものでこの魔技を掠め取ろうなど、詐欺以外の何物でもない。【魔都】の情報屋と妹魔女が聞けば、鼻で嗤うような行いである。
「金なんかいらないんだけどな、いや、変な意味じゃなくて。俺にとっては無価値だからだよ。それに、俺の作成方法はそんなに凄いモンじゃないって記憶と認識がある。前世の俺は、蘇りをスゴいスゴいって自画自賛してたんだ」
「ほほほ、物の価値を分からぬ者がそこに辿りついたか。才とは残酷なものよな。で、どのような条件にする。わらわは、ノドから手が出るほどに欲しいぞ」
円満な取引ができるものと思えるだろう。しかし、魔人妖人との取引は、どのようにしても円満にほど遠い結果になるものだ。
「どうして買うことにこだわるんだ。俺はこんなものジュース一本と引き換えにしてもいい」
小夜子は言葉巧みに、碧から売値を引き出せばいいだけの話だ。それこそ、ジュース一本でもいい。
「分かっておらんのう。外法陰陽師、そこまでの呪を造りだしておるというのに思い至らぬのかや?」
「ああ、前世の俺だって同じだと思うよ」
「モノには適正な価値を支払わねばならんのよ。特にこういう呪物はの、買い叩いてはその因果が己に跳ね返るもの」
「困ったな。じゃあ……」
ちらと碧は隣の部屋を見た。 大きな部屋には小さな布団。そこに魅宝が眠っている。 茶釜狸に投げ捨てられたまま、意識がない。あれほどの妖気を流し込まれたのだ。今の魅宝なら、このまま死んでしまうかもしれない。
「魅宝も、茶釜も、他の式のみんなを。縛りを解いて、いい姿にしてやってくれ」
梅の古木に宿った妖鬼である梅鬼太夫は、小夜子によって転生を得た。今は梅花の妖、<ruby><rb>香雪鬼</rb><rp>(</rp><rt>こうせつき</rt><rp>)</rp></ruby>となっている。
「碧よ、それが売値でよいか? 他のものでもよいのじゃぞ。そうじゃな、そこの魅宝を本来の姿にしてもよい。わらわには劣るが、男なら放ってはおかぬ美女になるぞ」
「あれは、そういうんじゃないよ」
「左様か。それにしても、高値をつけおったわ。よかろう、契約は成立じゃ。まずは、外法陰陽師の魂魄を持った六つの式神をなんとかした後で、お前、……取引相手に失礼じゃった。許せ。碧の術を外すこととしよう」
「いいさ、なんでも。それから、これはただ聞きたいだけなんだけど」
「なんじゃ」
「魂の無い俺は、死んだらどこに行くんだ?」
「【あちら側】じゃ。魂の有無にかかわらず、<ruby><rb>往</rb><rp>(</rp><rt>ゆ</rt><rp>)</rp></ruby>くことになる」
「そうか。ありがとうな」
「礼は支払いが済んでからにいたせ。それからの、猫を被って魂のあるフリはよせ。ギャル谷めが気を遣って、わざとはしゃいでおった。女に気を遣わせるな」
「分かった。そうする」
碧が小さく笑って何か言おうとした時、ふすまが開く。