第10話 小夜子と式神バトルと黄泉の国 (1/2)

魂魄のみとはいえ、相手は<ruby><rb>安倍晴明</rb><rp>(</rp><rt>あべのせいめい</rt><rp>)</rp></ruby>である。 その<ruby><rb>手管</rb><rp>(</rp><rt>てくだ</rt><rp>)</rp></ruby>、尋常ではなかった。

「式共、邪魔じゃ。下がっておれ」

小夜子の言葉と同時に、地面から無数の腕が生えて小夜子の足首を掴む。 足を掴みとった腕は腐り落ちたが、他の手は地上に這い出した。 仏教の地獄絵に見る鬼、<ruby><rb>阿傍羅刹</rb><rp>(</rp><rt>あぼうらせつ</rt><rp>)</rp></ruby>共が這い出してくる。

『<ruby><rb>蠅声</rb><rp>(</rp><rt>さばへ</rt><rp>)</rp></ruby>なす<ruby><rb>邪</rb><rp>(</rp><rt>あ</rt><rp>)</rp></ruby>しき神といえど、御仏には罰を受けようもの』

どのようにしたかは分からぬが、野良鬼ではなく閻魔大王<ruby><rb>麾下</rb><rp>(</rp><rt>きか</rt><rp>)</rp></ruby>の鬼を呼び出した。

「陰陽師が阿傍羅刹を呼びよるか。流石は晴明殿。<ruby><rb>黄泉軍</rb><rp>(</rp><rt>よもついくさ</rt><rp>)</rp></ruby>であれば、わらわを襲うことはないと見たな」

『<ruby><rb>八十禍津日</rb><rp>(</rp><rt>やさまがつひ</rt><rp>)</rp></ruby>よりも新しき邪しき神よ。そなたの来た場所に戻られよ』

「ほほほほ、【あちら側】を通らねば戻れぬ場所じゃ。晴明殿こそ死者は死者らしく、<ruby><rb>往</rb><rp>(</rp><rt>ゆ</rt><rp>)</rp></ruby>くべき所へ<ruby><rb>逝</rb><rp>(</rp><rt>い</rt><rp>)</rp></ruby>かれよ」

小夜子は大きくを息を吸い込んで、吐息を吐き出した。 小夜子の吐息を受けた鬼どもは、苦しみもがき肉を腐らせて倒れ伏す。

『恐るべき黄泉の穢れ。ならば、<ruby><rb>伊邪那岐</rb><rp>(</rp><rt>いざなぎ</rt><rp>)</rp></ruby>大神に<ruby><rb>倣</rb><rp>(</rp><rt>なら</rt><rp>)</rp></ruby>おうぞ』

魂魄のみの晴明が<ruby><rb>撫紙</rb><rp>(</rp><rt>なでかみ</rt><rp>)</rp></ruby>を放った。手のひらサイズの、人の形に切り抜かれた白い紙である。 晴明が小さく何かを唱えた。 あれは不味い。小夜子は本能的な危機を感じ取って晴明に肉薄した。 小夜子は様々な術を<ruby><rb>遣</rb><rp>(</rp><rt>つか</rt><rp>)</rp></ruby>うが、最も信頼しているのは己が肉体であった。異界の大いなる生命の肉体は、魂魄ですら掴み取ることができる。

晴明の頭に手を伸ばしたその瞬間。小夜子の右手が、突如として現れた白刃により切断された。

「ぬっ、何者じゃ」

「晴明よ、随分と危ないものとやっておるな。<ruby><rb>麻呂</rb><rp>(</rp><rt>まろ</rt><rp>)</rp></ruby>でなくば、間に合わなんだぞ」

撫紙が変じたのは、美丈夫であった。 その、あまりにも美しい立ち姿。年頃の娘であれば、見ただけで腰が砕けるほどの男前。 日本人ならば、誰もがその立ち姿だけで何者か言い当てられる。

『桃太郎様、<ruby><rb>此度</rb><rp>(</rp><rt>こたび</rt><rp>)</rp></ruby>は我がための御足労、痛み入ります』

桃の描かれた鉢巻。そして、あまりにも有名な陣羽織姿の桃太郎は、その秀麗な<ruby><rb>相貌</rb><rp>(</rp><rt>そうぼう</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>酷薄</rb><rp>(</rp><rt>こくはく</rt><rp>)</rp></ruby>な笑みを浮かべた。

「むっ、必殺の霊的国防兵器までをも意のままに<ruby><rb>使役</rb><rp>(</rp><rt>しえき</rt><rp>)</rp></ruby>するか」

その術の冴え。恐るべし、安倍晴明。

「桃太郎殿、<ruby><rb>彼奴</rb><rp>(</rp><rt>きゃつ</rt><rp>)</rp></ruby>は黄泉より魂を戻さんとしておる。<ruby><rb>理</rb><rp>(</rp><rt>ことわり</rt><rp>)</rp></ruby>を乱すものの手先となるか。鬼退治の相手を間違うてはおらぬかや?」

「麻呂からすれば、貴様こそ現世に迷い出た鬼でおじゃる。晴明よ、そなたの目的には目を瞑ってやろうぞ」

晴明の恐ろしいところがこれだ。幾多の式神を操り、その場で最も有効なものを瞬時に繰り出してくる。

『感謝致します。桃太郎卿、この場はお任せ致します』

「晴明殿、わらわからの忠告じゃ。行かば、後悔することになるぞ」

桃太郎の斬撃を、再生させた触手のごとき右手で受け止めた小夜子が言う。この場にいる者で、若松だけがその手が花子さんのものと分かる。

『幼き日よりの<ruby><rb>本懐</rb><rp>(</rp><rt>ほんかい</rt><rp>)</rp></ruby>を遂げることこそが、我が生きた証。しからば<ruby><rb>御免仕</rb><rp>(</rp><rt>ごめんつかまつ</rt><rp>)</rp></ruby>る』

晴明の呪により、香雪鬼が女の姿から梅の古木へ変じた。 香雪鬼の抵抗むなしく、彼女では何もできない。そして、火車三味線が猫の声で啼く。吸血魔は倒れ伏して、大量の血を吐いていた。

なるほど、と戦いの最中に小夜子は感心した。

黄泉の国は根の国とも呼ばれる。 香雪鬼、梅鬼太夫は樹木の精。地に根を張り、死者の案内人である火車が隣にある。そして、血の穢れである吸血魔。最後に碧という魂無き人間。彼らが揃うだけで、そこは黄泉の入り口として見立てられる。 碧の身体は、血の池に沈み込んでいく。 吸血魔を、血引きの池として、<ruby><rb>千曳岩</rb><rp>(</rp><rt>ちびきのいわ</rt><rp>)</rp></ruby>に見立てたか。 晴明は式共と共に、<ruby><rb>黄泉平坂</rb><rp>(</rp><rt>よもつひらさか</rt><rp>)</rp></ruby>に消えた。

「行けや晴明。このバケモノは麻呂が退治して進ぜる」

「好き放題言いよるわ。桃太郎殿、今のそなた、完全ではあるまい」

桃太郎はにやりと笑った。

「不完全な麻呂に足止めされておるのは事実でおじゃる。異界の女鬼よ、ここで<ruby><rb>終</rb><rp>(</rp><rt>しま</rt><rp>)</rp></ruby>いじゃ」

「ほほほほ、果たして足止めが出来ておるかな? バケモノにはバケモノの<ruby><rb>矜持</rb><rp>(</rp><rt>きょうじ</rt><rp>)</rp></ruby>があると、思い知らせてくれるわ」

晴明が消えた後の戦いは、凄惨そのもの。 切り刻まれれば瞬時に再生する小夜子は、人の形を無くした体で桃太郎へ襲い掛かる。三匹のお供がいれば桃太郎にも勝機はあったかもしれない。 桃太郎に地の利というものが一切無い間宮屋敷では、小夜子の得意とする泥仕合が圧倒的に有利であった。 鬼退治に用いられる神懸かりの剣技も、その身に傷を負うごとに精彩を欠いていく。

「見誤ったわ。バケモノが」

桃太郎が言葉を発したと同時に、小夜子の触手が彼の胸を貫いた。

「ほほほほ、わらわも桃太郎殿と同じく不完全。次があれば、今度は互いに完全な姿でやりましょうぞ」

「クソ、そういうことか。貴様のようなバケモノ、二度と御免でおじゃる」

「流石は女泣かせの桃太郎殿。つれないことを言われますな。そなたのために自害した女鬼とわらわは違いますぞ」

「ッ。クソガキが、地獄に堕ちろ」

悪態と共に、桃太郎は撫紙へと戻った。 これで式神としての桃太郎は消えた。晴明の切り札、その一枚に打ち勝ったということになる。

「お嬢様っ」

若松が駆けよってくるのを、小夜子は手で制した。

「分かっておる。すでに手は打った」

「ははっ、刈谷様のお身体はどのようになさいますか」

ちらりと小夜子が見たのは、倒れ伏しているギャル谷だ。魂魄が抜けてしまっている。碧の近くにいたため、術の巻き添えになったものだ。 今頃、魂魄は晴明らと共に黄泉平坂を進んでいるだろう。

「寝かせておけばよい。いずれにせよ、そろそろじゃ」

小夜子は言って、両手に奇怪な印を組んだ。

一方そのころ。晴明は碧の肉体に入り込み、魅宝と共に黄泉平坂を進んでいた。 黄泉平坂は闇の広がる場所だ。 広大な坂道を下れば、死者の国へ行き着くとされる。

『さあ、進め』

晴明の指示に従って、碧は坂を下る。

「爺さんさぁ、どうしてこんなことしてんの?」

同道するギャル谷の魂魄が、なんでもないことのように聞いた。

『……子供に分かるものではない』

「んなこと言わずに、教えてよ。死んだお母さんに会いたいの?」