第17話 小夜子? と瓜子姫と眷属どもと (1/2)

手長足長は災厄の化身であり、まつろわぬ神の零落した姿でもあり、神仙であるともされる。 ここに現れた手長足長は、角を持つ明らかな鬼だ。 本来ならば、兄弟、または夫婦としての姿だというのに、姉と弟である。

異形の鬼に対して、誠士は正面から相対した。 ちらりと朱音を確認すれば、彼女は部屋の端まで逃げていて、ぎりぎりで間合いの外だろう。山寺の食堂から逃げるにしても、出口までの途中にいる手長足長には隙が無い。

「さて、どれから喰らおうか。弟よ、そなたはどれがいい?」

「女じゃ。女がよい」

「さようか、ではそこの若い男をアタシが喰らおうか。残りは引き裂いて分けよう」

姉鬼の手長が、その長い両腕を振り上げた。いくつもの関節が連なる細腕は、両手を広ければ5メートル以上あった。 その手を交差させるように振るう。触れたものを破砕しながら、鬼の細腕が彼らに迫った。 並の退魔師ならそれだけで終わっただろう。しかし、彼らは鬼の血を引く<ruby><rb>道反</rb><rp>(</rp><rt>ちがえし</rt><rp>)</rp></ruby>一族。 女は猫のような身のこなしで避け、男は天井の梁まで跳んでその手をかわす。そして、誠士は振るわれた手の平に逆に飛び込んだ。

人の形であれば、壊し方も同じ。幾つも連なる関節はどうにも異様な形だが、手首から先は人間のものと変わりない。 まずは右の小指。手長の指は長く、まるで鋼鉄のような硬さだが、誠士もまた鬼の血を引く。全力と全体重をもって指をへし折った。

「きやあぁぁぁぁ」

姉鬼の悲鳴。 手というものは感覚が他より鋭い。その痛み、鬼であろうと耐えられまい。

「姉者の美しい手に傷をつけよったな」

足長は姉鬼を肩車をしたまま軽やかに跳ぶと、回し蹴りを放ってきた。 象ほどの太さの足である、誠士は床を転がってかわしたが、あんなものを受けたらひとたまりもない。

「忘れてもらっちゃ困るっスよ」

身体の構造が同じなら、急所も同じ。 道反の女は足長の股をすり抜けざまに、短刀で右足のアキレス腱を切り裂いた。並の妖物ならすれ違いざまに首を落とせる腕前の彼女をもってしても、人間であれば柔らかいはずの急所を裂くのが精いっぱいという有様だ。

それでも、急所を潰せた。

うめき声と共に、右膝をついた足長。そこに、道反の男が発砲する。 彼は視力が高いという以外は目が多いだけの、典型的な血の薄まった見掛け倒しの半妖だ。だが、三十年もの間、<ruby><rb>研鑽</rb><rp>(</rp><rt>けんさん</rt><rp>)</rp></ruby>を重ねた射撃の腕は血の濃さと全く関係無い。 続けざまに三発。 右目、左目、眉間。正確無比に放たれた銃弾は、足長の両目を貫いて脳にまで達した。眉間は骨に阻まれて効果がなかったが、先の二発だけでも致命傷だ。

「アタシの弟になんてひどいことを! 許さんぞ!」

姉鬼である手長が怒気を発する。

「姉者、いてぇよぉ。いてぇよぉ。おろろおおおん」

赤い肌の鬼である足長が、子供のように泣く。

「可哀想に。なんてヒドいヤツら! いつものをしてやるからね。もう泣き止むんだよ」

「姉者、いつものやってやって」

手長の<ruby><rb>嫋</rb><rp>(</rp><rt>たお</rt><rp>)</rp></ruby>やかな手が、足長の両目とアキレス腱を煽情的な仕草でまさぐれば、なんということ! 傷そのものが、まるで嘘だったかのように消え失せたではないか。

「痛いの痛いのとんでゆけぇ」  子供にやるおまじないだ。 手長の白い腕が、何かを投げる仕草をした。それは、道反の女と男に向けられている。

「二人ともっ、よけろっ」

誠士にだけは見えた。彼の目だけが、それを認識できたのだ。 必死の叫び空しく、その時には遅い。 見えない何かに当たった二人に、足長が負ったはずの傷が突如として現れる。 女は右足首が半ばから切断されるほどの裂傷。 男は人間の位置にある両目が弾けたあげく、何かが脳を破壊して後頭部にまで走り抜けて絶命した。痛みも感じぬ即死である。

「嘘っスよね……。叔父さんは、そんなの嘘で生きてる。術なんてまやかしっ。まやかしっ、嘘、デタラメッ」

道反の女は錯乱したのではない。<ruby><rb>言霊</rb><rp>(</rp><rt>ことだま</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>呪禁</rb><rp>(</rp><rt>じゅごん</rt><rp>)</rp></ruby>を用いている。 呪法を無かったことにしようと言霊で叫ぶが、手長のそれはすでに完了した後の結果だ。死を禁じることなどできようもない。

「バケモノめ……」

誠士は息を吸い込んだ。 なんとしても朱音だけは守らねばならない。彼女を守ることこそが、この身に課せられた使命だ。

朱音はそれを見ていることしかできない。逃げるのがいいのだろうが、出入り口近くには手長足長がいる。

『アレらを助けてやりたいか?』

「できるの」

『影でしかないわらわには無理じゃ。じゃが、朱音よ、そなたならできる』

声の囁きは、まるで悪魔の誘惑のようで。 朱音の心をくすぐる。

「どうしたら、いい?」

『わらわに体を貸しておくれ。そうすれば、全ては何もかも元通りじゃ』

進退<ruby><rb>窮</rb><rp>(</rp><rt>きわ</rt><rp>)</rp></ruby>まった時に、一発逆転をあげるなんて話はだいたい嘘だ。自分で勝ち取るしかない。それも、すぐに結果の出ることで。

「どうするの」

『瓜子姫の力をもって、ヒルコの海にあれを流し<ruby><rb>遣</rb><rp>(</rp><rt>や</rt><rp>)</rp></ruby>る。手長足長を真似ておるが、アレはあやふやなものじゃ。今ならなんとでもなる。瓜子姫や、そなたが身体を明け渡してくれればよい』

朱音には、この声が本当にあの少女のものなのか、それとも全く別の何かであるのか、それすら分かっていない。ただ、今まで守ってくれたものだということだけを分かっている。

朱音が口を開こうとしたと同時に、部屋の引き戸が荒々しく開かれた。

「人の寺を好き放題しおって! 許さん」

聖蓮尼というこの山寺の主である尼だ。

<ruby><rb>薙刀</rb><rp>(</rp><rt>なぎなた</rt><rp>)</rp></ruby>を手に、袈裟の下に腹巻という鎧を着こんだ伝統的な僧兵スタイルである。 許さん、と言う前からすでに薙刀は振りかぶられており、そのまま手長の首を<ruby><rb>刎</rb><rp>(</rp><rt>は</rt><rp>)</rp></ruby>ね飛ばしていた。

宙を舞う、女鬼の頭。

板張りの床に血を点々と残して転がり、壁に当たって止まった。その顔は何が起きたか分かっていないという表情を浮かべたままだ。

「あ、姉者の首がとれちまったァ!?」

「お前が壁に穴を開けたかっ。業者を呼ばんと直せんような穴を開けおって! 貴様も死ねい」

まさに鬼の形相となった尼が薙刀を振りかぶる。

「よくも姉者を」

足長の蹴りが放たれる。怒りもあってのことか、凄まじい一撃である。 聖蓮尼は驚異の柔軟性をもってそれをすり抜けるように避けながら、足長にぴたりと寄り添うような体勢でその懐に入る。

「ふんっ」

気合一閃。 薙刀という長物が魔法のようにうねる。 <ruby><rb>疾風</rb><rp>(</rp><rt>はやて</rt><rp>)</rp></ruby>のごとく走る刃が、足長の大きな頭を鼻の上から横一文字に切断していた。 足長の身体は蹴りの勢いのまま、滑るようにしながら倒れ伏す。

「なんということをしてくれたッ。ほぼ建て直しではないか!」

怒りが治まらない聖蓮尼は、前のめりに倒れた足長の背中から、心臓の位置に薙刀の刃を突き立てていた。その後に、手長の身体を蹴って仰向けにすると、同じように心臓に刃を突き刺した後、腹にもに刃を刺しこんでいく。 退魔師であれば分かることだが、妖物は死ににくい。そのため、止めを最低でも三度は刺すという鉄則がある。

「せ、聖蓮尼、この鬼は」

「道反誠士や、あなたが原因でもこれは流石に怒りますよ」