第21話 聖蓮尼と朱音とお父さんのおはぎ (1/2)

聖蓮尼と朱音はのんびりと茶を飲んでいる。 半壊した食堂はそのままにして、無事だったテーブルとイスを持ち寄って茶を飲んでいた。 季節外れに暖かい日だ。 例年の二月といったら、一年で最も寒い日が続くというのに、天気予報のお姉さんが言うところ四月中旬の暖かさがしばらく続くという。

「やはり、あたたかいほうがいいですね」

聖蓮尼が言うと、朱音もうなずく。

「冬場はホットじゃないと、冷えちゃいますよ」

お茶の話ではなく気候のことを言ったつもりだった聖蓮尼だが、ここは流してうなずいておくことにした。

「しかし、あの中はどうなっていることやら」

「ええ、こんなに不思議なことってあるんですね。今の今まで知りませんでした」

朱音のそれは本心だ。自分がその不思議に含まれていて、世の中にそんなものが存在していたということも、想像もしていなかった。

「うむ、中国の言い伝えで似たものを聞いたことがありますが、あれではまるで、ドラえもんの道具」

朱音は少しだけ笑ってしまった。 確かにそのとおりだったからだ。 彼女たちの見つめる先には、畳一畳分程度の<ruby><rb>鬼ヶ島</rb><rp>(</rp><rt>おにがしま</rt><rp>)</rp></ruby>があった。 余人が見れば、精巧なミニチュアの、ジオラマとも呼ばれるものだと思っただろう。絵に描いたような、見事な出来栄えの小さな鬼ヶ島がある。

桃太郎卿は、誠士を鍛えると言ってミニ鬼ヶ島を虚空から呼び寄せた。 誠士は桃太郎に連れられて鬼ヶ島へと吸い込まれていき、もう四日が経過している。

待つしかない聖蓮尼は二人の小夜子に連絡してみた。 間宮の魔人は道に迷って長野県で蕎麦を食ったり、山蜘蛛を退治したりしていて遅れるとのことだ。そして、ショタ食い性犯罪者も道に迷っており、今は京都にいて先ほど王冠を被ったイナゴの姿をした西洋悪魔の首を<ruby><rb>刎</rb><rp>(</rp><rt>は</rt><rp>)</rp></ruby>ね飛ばしたから、すぐに行くとのことである。

二人の小夜子。どちらも世間話のように言っていたが、あの感じだと虚言ではない。 あいつらヤベぇな、と聖蓮尼は思った。

「朱音さん、制御の方はいかがですか?」

「ええ、道反くんのお父さんが教えてくれたこと、できるようになってきました」

ケモノ女襲来の翌日、なんとか妨害をはねのけた道反竹一郎がやってきた。車で二時間の道のりは、まさに修羅道の有様。しかし、彼はたどり着いた。そして、今は本堂で<ruby><rb>読経</rb><rp>(</rp><rt>どきょう</rt><rp>)</rp></ruby>を上げている。 精神集中のためだと言うが、息子の安全でも祈願しているのだろう。

「竹一郎めも立派になったもの。あの捻くれ者が、息子のためだけに神の意思をはねのけるなんて。私は成長が嬉しいです」

聖蓮尼にとって、竹一郎は後輩にあたる人物だ。子供のころから知っていて、あの鬼の面相からコンプレックスをこじらせて荒れていた時期もよく覚えている。

「いいお父さんじゃないですか」

「私が知るアレは、今でも子供のままでした。けど、今はもう立派な父親なんですねェ……、時が経つのは早いものです」

「……多分、あと二日くらいで来ます」

朱音はじっと湯呑を見つめて言った。 湯呑の中では茶柱がくるくると正確な円を描いている。 ごく初歩的な霊力の超能力変換だ。 これをやって、茶柱を自在に動かせる退魔師など存在しない。あまりにも非効率で、地味な修行にしか使えないのが、霊力の超能力変換だからだ。 一流の退魔術師であっても、朱音と同じことなどできようもない。茶柱を一周させれば、力を使い切ってもおかしくない。それを、朱音は一時間も維持している。

聖蓮尼の見るところ、朱音の行使している力は霊力ではない。朱音が霊力と認識したから、その形をとっているだけだ。 朱音を門として、彼方から漏れ出した【あちら側】の力である。 桃太郎卿はそれが何か分かっていたようだが、口にしないところをみると口にするだけで、【良くない】ことを呼び寄せる類か。

「間宮さんは便利な言葉を教えてくれました。【あちら側】、名を言ってはいけない場合にも使いやすいですし、神どもに気づかれるものでなし。大変良い言葉です」

もし、間宮小夜子がそれを聞いていたら、自分のことのように喜んだだろう。この言葉を最初に使用した、大好きな先生が褒められたなら、そうなる。

「えっと、どういうことですか」

「朱音さん、あなたの力は【あちら側】そのもの。瓜子姫というのは、瓜から生まれたと言いますが、きっと彼方から流れ着いたモノ」

その意味など分からなくていい。 神であれ、死なねばあちら側へは行けない。<ruby><rb>伊邪那岐</rb><rp>(</rp><rt>いざなぎ</rt><rp>)</rp></ruby>大神ですら境界まで行って追い返された。 瓜子姫とは【あちら側】から流れ着いた瓜より生まれたる姫君。

「聖蓮尼さん、わたしには瓜子姫の記憶があります。私のことじゃなくて映像みたいな感じの記憶なんですけど、怖い変なモノとかに狙われて、誰かに助けられたり、そうじゃない時も」

「それは偽物の記憶ですよ。こういうものは、世の中に影響を受けます。だから、テレビで見たドラマか何かだと思うのがいいでしょう」

前世は誰それだった、という話は稀にある。しかし、それは今現在とは一切関わりが無い。

魂魄に刻まれた前世などというものは、落丁本か再生紙のようなものだ。 あくまで聖蓮尼の考えだが、人の魂魄は再利用されて生まれ変わる。 再生紙で言うなら、以前に少年ジャンプだったページの切れ端が端っこに残ってしまったようなものだ。それか、全く別の本のページが挟まれた落丁本。逆に希少価値が出ることもある。

結局のところ、人間などというものはそれほどいい加減にできているものだ。いい、の部分を「良い」とするかは人による。

「助かったり、殺されたり、でも、こんなことはなかったんです。あんな怖いモノは来なかったのに……」

ケモノ女の神を言っている。 アレは聖蓮尼でも経験したことがないレベルの神だ。信仰を失った稲荷や<ruby><rb>流行神</rb><rp>(</rp><rt>はやりがみ</rt><rp>)</rp></ruby>などとは比較できない。

「大丈夫ですよ。我々が失敗したら、この土地ごと焼き払います」

聖蓮尼はなんでもないことのように言った。 神に対して確実な対抗手段を、人類は既に持ち得ている。

「え、それって」

「超小型核弾頭の手配は済みました。プルトニウムは神であれ焼き尽くします」

自然界に存在しないプルトニウムは、人類が作り出した神殺しの一つだ。 霊的存在の力が強いこの世界では、何十年にも渡って神への対抗策が模索されてきた。その中で、初期から確実な効果を実証しているのがプルトニウムである。

「ええぇぇ、そういう解決方法なんですか」

「失敗しても死ぬだけですし、後のことは後に生きる者たちに託せばよいのです」

どうやっても死ぬ時は死ぬ。 死生観は人それぞれだが、神などを相手にするのであればそれでよいと、聖蓮尼は思っている。若者にそれを強制するのは心苦しいが、生まれついた宿命とはそういうもの。そして、それを覆すことが可能だと知っていた。 神ならぬ人間にはそれができる。

「それ、大人が言っていいんですか」

「取り返しのつかないことをしながら<ruby><rb>齢</rb><rp>(</rp><rt>よわい</rt><rp>)</rp></ruby>を重ねていったのが大人というもの。取り繕うのが上手くなるだけなのですよ」

聖蓮尼は朱音が宿命を覆すことに期待していた。そして、そこには小夜子の影もいて、残る二人の小夜子も来るのだ。なんとかなるような気がする。

しばらくして、読経を済ませた竹一郎が手ずからこしらえたおはぎを持ってやって来た。

「聖蓮尼、この度は愚息のために骨を折って頂いて、なんとお礼を言ったらよいものか」

道反竹一郎は常からの鬼の形相で恐縮して言う。 その手におはぎを山盛りにした皿を持っているのが、なんともおかしい。

「よいよい。私も呼ばれたら嫌々ながら行ってたこと。偶然にここが中心になっただけです」

「あの、誠士くんはわたしのために」

「キミのためなら、それは頷ける。よく頑張ってくれたね、天野朱音さん」

竹一郎はそう言って、瓜子姫こと朱音に対しての庇護欲を自覚した。彼女を守らねばならないと、血がそう言っている。だから、当然のことだ。

「はははは、竹一郎も丸くなったものです。おはぎ、いただきますね」

鬼の面相をした竹一郎が台所にあったもので作ったおはぎだ。 今から修行してなんとかなるものでもなし、やることがないから作ったというものである。 おはぎを食べる聖蓮尼は、もこもごと口を動かしていて、竹一郎が子供のころから変わらぬ食べ方である。このお方の年齢については、口を出さない方がよいのだろう、と彼はいつものように考えた。

「あ、いただきます」

朱音も食べてみた。 おはぎ、家でも作れるんだ。という新鮮な驚きがあった。和菓子屋さんの設備でないと作れないものとばかり思っていたが、そうでもない。 スーパーなどで売られているものより、甘さが少なくあずきの味が強い。

「おじさん、美味しいです」

「それはよかった。若い子にそう言ってもらえて嬉しいよ」

鬼の面相が笑う。顔は怖いのに、なんだかいい人だなと思えてしまう笑顔だ。誠士の苦笑いは、これを屈折させたような印象だ。顔つきは全然違うのに似ている。