第33話 小夜子と若松と失恋アイスと夢の奈落 (1/2)

沙織とクマヒがギャン泣きしていると、メガネちゃんに続いて屍食鬼の<ruby><rb>女官</rb><rp>(</rp><rt>にょかん</rt><rp>)</rp></ruby>たちがやって来て慰めてくれた。

やれ男は他にもいるだの、やれまだ好機はあるだの、やれ押し倒して子供作れば勝ちだの。どれもふんわりした具体性の無い慰めだった。

鼻水まで垂れ流してのギャン泣き。 ここまで見事な失恋を見せられたとあれば、屍食鬼の女性たちも伝統に<ruby><rb>則</rb><rp>(</rp><rt>のっと</rt><rp>)</rp></ruby>り【ハーゲンダッツ】の【クッキーアンドクリーム】味、お徳用とも呼ばれるパイントサイズを用意するほかない。

失恋した時は、パイントを抱きかかえて食べる。 アイスクリームは固く、スプーンはなかなか刺さらない。泣きながらも、クマヒはスプーンの先端をぐりぐりさせて、口に入れるには多すぎる量を掬って口に入れる。

「ひぐ、ひっぐ、おいひい」

クマヒに匹敵するギャン泣きの沙織にも、憐れと思ってかパイントが用意された。種族違えど、これが女の連帯感。

「びえぇぇ、ありがとう、……美味しい」

沙織もクマヒに倣って口に入れるには多すぎる量を押し込む。 痛いくらいに口が冷えた。

クッキーアンドクリームは定番の味。いつの時代もみんなの小さな贅沢。 嬉しい時も、悲しい時も、いつだって美味しい。アイスの王様ハーゲンダッツ。

「おまえは、どうして若松殿に」

クマヒが沙織に声をかける。

「えう、ぐす、お正月に、ヤンキーに絡まれてるとこ、助けてくれて。うええええ」

思い出してまた泣き出す沙織。なんとか涙を止めようとしているのに、鼻水が垂れてくる。見かねた屍食鬼の女性が<ruby><rb>手拭</rb><rp>(</rp><rt>てぬぐい</rt><rp>)</rp></ruby>を貸してくれた。

遠慮の欠片も無く、思い切り<ruby><rb>洟</rb><rp>(</rp><rt>はな</rt><rp>)</rp></ruby>をかむ沙織。

「にんげんめ、きたないだろ」

あまりもあんまりな沙織だが、クマヒも似たようなものだ。差し出された手で同じようにチーンする。

「だってぇ、人のこと好きになったの、初めてだったから」

沙織の場合は、よく出来すぎた小娘でありすぎた。少し笑いかけてやれば、男は自分のことを好きになる。そんな世界観で今まで生きてきた。

「クマヒも同じだ。若松殿みたいな男、屍食鬼にも妖魔にもいない。いないのに、うえええ」

失恋したら泣く。 だいたいそんなことを繰り返して大人になるのは、人も屍食鬼もそこまで変わらない。たとえ、生物としての在り方は違ったとしても。

泣き疲れてもう涙も出ないというころ、二人は1000キロカロリー越えのクッキーアンドクリームのパイントを完食した。

言葉になっているか分からないような失恋女同士の会話は、二人にとっては独り言を聞かせ合うというもの。

不思議なことに、絆を感じた。

相手のことは何一つ知らない。そして、種族さえも違うというのに、何かが結びついた気がする。友情とも違って、大人になってから初めて顔を合わせた親戚のような。

「クマヒさん、ひどい顔」

沙織が言うと、クマヒは笑う。

「お前だって、ヒドい顔だよ」

「沙織、鷲宮沙織。沙織でいい」

「クマヒだ。クマヒでいい」

そうして、顔を洗いに行こうということになった。 屍食鬼の女官に囲まれて、二人は気安い友達のような距離感で並んで歩いた。 石造りの宮殿を女たちが往く。

もらい泣きをしていたメガネちゃんも後に続く。

「文字通り、雨降って地固まる、ですね」

上手いことを言う。と、メガネちゃんは内心で自画自賛した。沙織についていきながら、どうして若松がモテているのか、考える。

恋をするのに理由はいらない。 苛立ちと共に恋は存在を支配する。

地下東京の地下名産品による偽フレンチが完成し、小夜子を含む貴族階級の屍食鬼たちに<ruby><rb>饗</rb><rp>(</rp><rt>きょう</rt><rp>)</rp></ruby>された。 若松もやって来て、小夜子の隣で食事を共にしているのだが、気まずい。

「うむ、美味い」

小夜子は言うが、どうにも気の抜けた「美味い」である。 実際のところ、地底名産品は独特の<ruby><rb>地底風味</rb><rp>(</rp><rt>えぐみ</rt><rp>)</rp></ruby>があって人を選ぶ。美味いのは確かだが、どうにも好みではない。

「お嬢様、一つ追加でご用意しております」

若松が手を叩くと、屍食鬼の給仕が予定に無かった料理を運んできた。 それを見た者たちから感嘆の声が漏れ聞こえた。

「若松殿が調理されたエリンギ様お振舞のキノコステーキでございます」

給仕がそう叫ぶと、感嘆の声は歓声に変わる。

ぱっと見は、熱した石板の上で湯気を立てる白いステーキに見える。 じゅうじゅうと熱したキノコ独特の旨味成分が表面を艶やかに彩り、醤油ベースのシンプルなソースの香ばしさが鼻腔をくすぐる。

「ほお、これは美味そうじゃ」

気まずさなど忘れて、小夜子が言う。そして、ナイフを入れて大き目に切って口に入れた。 一口目で、小夜子は目を見開いた。

「う、美味い。なんじゃこれは、こんなキノコがあり得るのか」

生でかじりついた時とは、何もかもが違う。 弾力があるのに、<ruby><rb>容易</rb><rp>(</rp><rt>たやす</rt><rp>)</rp></ruby>く嚙み切れるほどに柔らかい。そして、強い旨味が口いっぱいに広がる。くどさが全く無かった。 塩を振るだけでも充分に美味いはずだが、ここで醤油ベースのソースが活きる。香ばしさが実によく合っている。

「お気に召しましたか?」

それと気づかないほどの、若松の小さな笑み。

「……うむ、美味かった。若松よ」

続けようとした言葉は、あえて言葉を重ねた若松に遮られる。

「それはようございました。美味いと言って頂けることが、一番嬉しいものです」

小夜子は呆れたように、小さく笑った。 言葉にしなくても、分かることがある。

「そうか、お主はそういう男であった。褒めてつかわす」

「お褒めに与り恐縮です」

若松の座る椅子の背もたれにしがみついていた小さな蜘蛛が、それを見ている。つぶらな八つの瞳が見ているのは、若松と小夜子だ。

友情とも愛情とも違った、言葉にできない情でつながる二人。どれだけ存在が違おうとも、二人にだけ分かる確かなものがある。

蜘蛛はぴょんと跳んで、会食の場から離れていく。

屍食鬼たちは、会食の場に饗されたような凝った食事ではないにせよ、キノコや酒を持ち寄って目出度い日を祝っている。

地下東京に生じた蒼白い光は、小夜子と若松がもたらしたもの。 闇の中でヤマトを憎むだけの土蜘蛛は消えた。彼らも、今や地下東京の民。

小さな蜘蛛は宮殿を移動しながら、暗がりの奥へ奥へと進んでいく。

暗がりの奥。幾つもの異界へと跳躍して、本来の巣である【奈落】の奥底へとたどり着く。

真っ暗な場所には、蜘蛛の糸による作りかけの巣があった。

「さびしいなぁ」

奈落にまで落ちてきたキノコを食む。 蜘蛛は、孤独に打ち震えた。

地上からやって来た魔人、間宮小夜子。 蜘蛛は生意気な小娘と魔戦を繰り広げ、敗北した。

「なんで、一人なんだろう」

蜘蛛の神は首をかしげた。 生まれた時には一人。そこにあった時から、ただ独り。

ただ喰らい、本能に従って巣を作ることだけに時間を費やしていた。

間宮小夜子との戦いは奇妙なものだった。実力は僅差。いや、僅かに蜘蛛の神が上回っていた。