第62話 鳴髪親子と聖蓮尼と男たち (1/2)

若菜姫<ruby><rb>調伏</rb><rp>(</rp><rt>ちょうぷく</rt><rp>)</rp></ruby>と鳴髪くるみ復活の報せは、<ruby><rb>燎原</rb><rp>(</rp><rt>りょうげん</rt><rp>)</rp></ruby>の火のごとく業界に知れ渡った。

鳴髪小夜子の一件以来、鳴髪家に射した影もこれでなくなったものと思いきや、当のくるみが家に戻らない。それどころか、退魔術をまともに使えない三流退魔師である色部三郎に、あろうことか手籠めにされたという噂まで広まっている。

若菜姫調伏に参加した退魔師たちも、その噂について言葉を濁すばかり。 くるみが色部と親しいのは確かなようだが、どうにも傷モノにされたという扱いではないとか。

そのような噂話で業界が持ち切りなこともあって、鳴髪家を筆頭とする一族は苦々しい日々を送っている。 そんな彼らにも、朗報がもたらされた。

しとしとと小雨が降りしきる六月のある日、聖蓮尼を伴ったくるみが朝一番で鳴髪家の邸宅に戻ってきたのである。

一族郎党にかしずかれて玄関を上がり、くるみは気まずい笑みを漏らす。

「くるみさん、迷いましたか?」

聖蓮尼が言えば、くるみはかぶりを振った。

「ううん、そうじゃなくて。今までこんなとこでよく生活してたなって」

今のくるみに、鳴髪家は居心地が悪い。

「お金持ちなのはよいことですよ。金はあるにこしたことはありません」

「そういうの、大人が言っていいの?」

「尼は言っていいのです。俗世間と離れていますからね」

聖蓮尼はそんなことを言って<ruby><rb>煙</rb><rp>(</rp><rt>けむ</rt><rp>)</rp></ruby>に巻こうとする。

たどり着いた大広間には、現当主である鳴髪<ruby><rb>女史</rb><rp>(</rp><rt>じょし</rt><rp>)</rp></ruby>が正座して待ち受けていた。そして、大広間を囲むように一族の有力者が脇を固めている。

「くるみ、そこにお座りなさい。聖蓮尼はそちらに」

家人によって用意された座布団にくるみは座る。 聖蓮尼の座布団は、畳一枚は離れた後ろに置かれた。しかし、彼女は<ruby><rb>楚々</rb><rp>(</rp><rt>そそ</rt><rp>)</rp></ruby>とした仕草で座布団を拾うと、くるみの隣に置いて座った。

じろりと鳴髪女史に睨まれるが、聖蓮尼はどこ吹く風。

「お母さん……。うん、座るね」

鳴髪女史は、鳴髪くるみの実の母親だ。しかし、今ここで親子の情は感じられない。冷徹な当主の顔であった。

「若菜姫調伏、よくやりましたね。これで、鳴髪家当主としてあなたを迎え入れられます」

鳴髪女史の言葉に一族の者たちからも賞賛の言葉が漏れ出る。おめでとうございます、とか、次期当主、とか。以前のくるみなら得意になれていたけれど、今となっては何とも思わない。

「お母さん、あたしは当主とかやりたくない。だから、廃嫡でいいよ。それと、結婚しろって話だけど、今年中に結婚はするけど赤ちゃんはもうちょっと先かな」

思ったよりも簡単に、言おうと思っていた言葉が出た。 くるみは言葉にした後で、大胆なこと言っていると自覚して赤面する。

「何を言っているのですか? くるみ、もう子供ではないのですよ」

「四十代の出産はキツいと思うけど、お母さんが頑張ったらいいんじゃない? それか、お姉ちゃんに当主させてもいいと思う。あたしよりお姉ちゃんの方が遥かに強いんだし」

くるみも姉と共に戦って分かったことだが、鳴髪小夜子であれば一人でも若菜姫を調伏できただろう。 それほどに、姉とは差がある。

「雷神の術が使えぬアレなどに!」

鳴髪女史は怒気を隠さなくなった。

「こんなの使えなくても妖物は退治できるし、銃の方が強いよ」

くるみは懐に銃を二丁忍ばせている。 公安の実働部隊が天才と評する彼女であれば、ここでアクション映画さながらの銃撃戦を繰り広げて制圧することもできた。だけど、それはできることなら避けたい。

「くるみ、あまり母を怒らせないで下さい。それとも、お仕置きされたいですか?」

「お母さん、それはもう無理だよ。おいで、八雷神」

言葉と共に、雷光を伴って八雷神が<ruby><rb>顕現</rb><rp>(</rp><rt>けんげん</rt><rp>)</rp></ruby>する。 くるみの全身に絡みつく雷で出来た八匹の蛇。それこそが、<ruby><rb>伊邪那美</rb><rp>(</rp><rt>いざなみ</rt><rp>)</rp></ruby>様と共にある冥界の八雷神。 本来ならば、伊邪那美大神だけにしか使役できない死の化身である。

「くるみ、その姿は!?」

くるみの金色の髪がゆらりと逆立つ。そして、絡みつく雷神を見やった。

「髪が乱れるしやりたくないんだけど、……こうしないと話も聞いてくれないでしょ。お母さん、今までお世話になりました。あたしは、色部さんのお嫁さんになります。だから、保護者の同意書を書いて下さい。最後のお願いで、最初で最後の命令です」

一族の者が色部の名を聞いて「三流退魔師が姫様をたぶらかした」と叫ぶ。 くるみはイラッときてしまい、制御が乱れる。 強烈な死気が、くるみより発された。

「喝!」

聖蓮尼の一喝。 霊力が乗った声の術により、くるみは乱れていた雷神の制御を取り戻す。

「聖蓮尼、ごめんなさい。もうちょっとで誰か死んでた」

冥界八雷神の役目は人の命を奪いとること。自由にさせようものなら、本来の主が命じた通りに一日に千を殺そうとするだろう。

「くるみ、本気で言っているのですか。一族は、今まであなたのためにどれほどの」

「お母さん、そういうのやめようよ。あたしたち、それをするには遅すぎるんだよ。だから、もういいの。同意書を書いてくれたら、荷物をまとめて出ていくから」

「うぬぬ」

鳴髪女史は女だてらに当主を務める女傑である。 雷神の術にしても、以前のくるみであれば母に敵わなかっただろう。しかし、今のくるみは、荒神としての伊邪那美大神の御力を借りている。

苦渋の唸りを漏らす鳴髪女史に対して、すっくと立ちあがった聖蓮尼がつかつかと歩み寄って耳元で何事か囁いた。

鳴髪女史は鬼の形相で聖蓮尼を睨みつける。

「おのれ、鳴髪と事を構えたいか。いかな聖蓮尼といえど」

「娘のためを思ってやりなさい。それに、私だってそんな手は使いたくないのです」

公安に無理を言って出させた調査書の中身を公表すると、聖蓮尼は暗に言っている。

「分かりました。くるみ、あなたはもう娘でもなんでもありません。三流退魔師のとこへ行って、惨めに生きればよろしい」

「ありがとう、お母さん」

くるみはにこりと笑んで、八雷神を引っ込めた。 広間に漂っていた死の気配が薄れる。

その瞬間、一族の重鎮である男が立ち上がった。

「おのれ、いくら姫様といえど許せん」

雷を放たんがため両手に印を組む男。くるみにそれは、遅すぎる。 懐に隠し持っていた二丁の自動拳銃を両手で引き抜いて、撃つ。

鳴髪くるみは天才だ。 曲芸じみた早撃ちで、男の膝を撃ち抜く。それと同時に、もう片方の手にある銃が、鳴髪女史の頭を狙っていた。

「銃の方が早いわ。それとも雷神に噛まれるか、どっちがいい?」

くるみはこの体勢からでも八雷神を呼べる。

「お前ら、動けばこの私を相手にすると思え」

聖蓮尼もまた、鳴髪女史の隣にいる。

「その痴れ者を運び出せッ。聖蓮尼、失礼をしました。すぐに書類は用意しますから、ここは引いて頂きたい。くるみ、あなたも」

もはや、決したことだ。 鳴髪女史の顔は歪んでいる。

「お母さん、これまでありがとうございました」

鳴髪女史は一族の者たちを下がらせた後に、すぐに弁護士を呼んで保護者による未成年者の結婚同意書を作成することになった。

書類が出来上がるまでに、くるみは聖蓮尼と共に自室でそう多くない荷物を整理する。 スーツケース一つに納まる程度だけ持って帰って、あとは処分してもらう。

二時間ほどで書類は出来上がって、聖蓮尼も確認した後に母親と会うこともなく鳴髪家を去ることになった。

聖蓮尼の愛車であるカローラツーリングで、帰途につく。

「くるみさん。良い<ruby><rb>功徳</rb><rp>(</rp><rt>くどく</rt><rp>)</rp></ruby>を積まれましたね」

「功徳かなあ……。ちょっとだけ悲しい感じもあるけど、なんか思ったよりどうってことない」

「それで良いのですよ。これで、色部は性犯罪者ではないということにできます。私も、あなたたち姉妹のために骨を折るのはもう慣れました」

姉妹そろって、男のことになると常軌を逸している。あの母親の血筋だなと聖蓮尼は思う。

「あのね、あたしとお姉ちゃんって、やっぱりお父さんが違うよね? 聖蓮尼は知っているんでしょう」

「それを聞きますか?」

「今しか聞けないよ」

「くるみさん、あなたはもう大人ですね。……あなたの父親のことも、聞きますか?」

聖蓮尼は諦めた。世間一般の常識というもので、立派な大人として何か言おうとも思ったが、くるみはそんなことを望んでいない。

「ううん、別にいいよ。それはお母さんのことだし」

「それでいいのですよ。恋から醒めて後悔した時には、私に相談しなさい。いいですね、さらにヘンな男に捕まってはいけませんよ」

「あたし、結婚前なんだけど……」

「私は言いにくいことも言います。尼ですから」

尼さんは無敵だ。だいたい何を言っても、深いことだと皆が勝手に理解してくれる。 聖蓮尼は続けて言う。