第73話 みんなで行く軽井沢 (1/2)

現在、トミーが運転するマイクロバスは軽井沢に向かっていた。

全員が乗れる車がこれしか無かったため、レンタカー屋で借りてきたものだ。 マイクロバスの座席というのはテンションが上がる。腰掛けるだけで、ちょっとした旅行気分になるからだ。

レンタカーのマイクロバス。その乗り心地は、思ったほど悪くない。しかし、ギリシアと北欧の神を乗せてよいものだろうか。

問題解決のため、彼らは全員で旅立った。若松と千草まで含めた全員で行くことになったのである。

「おおっ、ここが噂の軽井沢かいな! 人生で初やで。おれもセレブの仲間入りちゃうか」

大型と二種免許を持っているトミーは、ほとんどの車を運転できる。 かなり長い時間を運転したというのに、元気そのものだ。 小旅行にテンションが上がっており、ドライブも快調。

その車中といえば、混沌としている。

移動時間に語るロキの物語は、小夜子を感動させるものだった。 三時間に及ぶロキが語るこれまでの紆余曲折に対し、小夜子のテンションは鰻登り。 まさか、90年代伝奇小説のようなことが、現実に起こっていたとは!

「わらわ、感動した! 徳間ノベルズであれば全六巻に及ぶほどの物語じゃ」

ダイジェストでお送りしよう。

キリスト教圏に吞み込まれて以来、北欧の神々への呼びかけなど皆無。かの有名なロキであってもそれは同じだ。

そんな時代に、あまりにも遠い異国から呼ばれた。 なかなか面白そうだと物見遊山で呼びかけに応じたロキは、バブル期の東京に顕現する。

新たな神話の到来かと思われた召喚も、ただバブル期の日本で過ごすだけに終わった。 イカレた大富豪の茶飲み友達をするだけ。

とはいえ、大富豪には敵が多かった。そうなれば、ロキもそれなりの仕事をすることになる。だが、それでもそれだけだ。ヤクザや政治家との戦いなど、ロキにとっては眠たいものに過ぎない。

ロキを呼び出した大富豪は、政権に影響を与えるほどの力を持っていたが、バブル経済の崩壊によって破滅した。

当時は世間を騒がせたが、ただそれだけ。

バブル期に巨万の富を得たのも、破滅したのも、彼が自分でやったことでしかない。ロキは何も助力していないのだから、まさに傑物だったのだろう。

さて、現世もこれきりというところで、大富豪の孫娘が一文無しで世間に放り出される。 ロキは気まぐれから孫娘を助けた。 ここから紆余曲折とラブロマンスを経ること数年、二十一世紀の始まりに成長した孫娘を妻に迎えたのであった。

語り終えたロキは口をへの字に曲げてそっぽを向いた。そして、流れゆく車窓の景色を見ながら言う。

「異界の小娘、お前に感動されたところでどうにもならん」

「ロキ様、何にせよ奥方様を見ねばどうとも言えぬ。日ノ本の呪詛であっても、きっと抜け道はあろうよ」

小夜子はそう言ったが、幾つか考えた抜け道の全てが難しいものだ。 後ろの席にいた初老の紳士がそこに口を挟む。

「なるほど。お子様が日本の宿命を背負うということですな。確かに、<ruby><rb>三輪</rb><rp>(</rp><rt>みわ</rt><rp>)</rp></ruby>山の巫女に倣えば【<ruby><rb>箸</rb><rp>(</rp><rt>はし</rt><rp>)</rp></ruby>で<ruby><rb>女陰</rb><rp>(</rp><rt>ほと</rt><rp>)</rp></ruby>を突いて死ぬ】のが宿命でしょう」

小夜子が振り向いて、じっと紳士の顔を見た。

「目羅博士、適当な姿に化けろと言うたが、そのロマンスグレーなハンサム老紳士は目立つじゃろ」

「こういう姿は得をするのですよ。それに、私のイメージにぴったりです」

平然と言う目羅博士に、小夜子は軽蔑の視線を向けた。

「外見はまあよい。それより、博士を名乗るだけてあってなかなか詳しいではないか。ロキ様は異国の神であるし、お子といえばフェンリル狼にミッドガルド蛇じゃったの。確かに三輪山と似ておる」

男神と通じた女が孕んだ子は産まれることができない。母と共に死ぬ。もしくは、人の形では産まれず、異形の存在として生まれ異界へ還る。

目羅博士は紳士然とした調子で言葉を続けた。

「女神と人の男であれば、人の形で子供を産めたのでしょうがね」

かつて、小夜子が相対した<ruby><rb>安倍晴明</rb><rp>(</rp><rt>あべのせいめい</rt><rp>)</rp></ruby>はまさにそれだ。女神を母とする彼は、長ずるにつれて天才で<ruby><rb>あ</rb><rp>(</rp><rt>・</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>る</rb><rp>(</rp><rt>・</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>だ</rb><rp>(</rp><rt>・</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>け</rb><rp>(</rp><rt>・</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>の</rb><rp>(</rp><rt>・</rt><rp>)</rp></ruby>人になった。

「むむむ、いずれにせよ奥方の様子を見ねば動けんな。トミー、目的地まではどれくらいじゃ」

運転席から、トミーは大声で返事をする。

「あともうちょいや。いやあ、友達の奥さんと会うのって妙に緊張するなあ。なんでなんやろ」

トミーは本当に状況を分かっているのか。 小夜子が怪訝な顔をすれば、ロキがほんの少しだけ、微かに笑った。

「お前らは、奇妙な連中だよ。恐竜人よ、お前もだ。どうしてついてきた?」

銀髪の紳士に化けた目羅博士は、くくくと笑う。

「トミーさんにしてやられたままでは悔しいからです。顛末を見届けて、最後には笑って差し上げるためですよ」

ロキはその返答に、どうしてか満足した。耳当たりの良い言葉なら、それこそフェンリル狼をけしかけていたというのに、この回答ならそんな気もなくなる。

こいつ嫌いだと小夜子は思った。そして言葉を続ける。

「ロマンスグレー気取りでロクデナシはなかろうよ。目羅博士、裏切ったらどうしてくれようか」

「ははは、私が裏切る時は、あなた方が負けた時ですよ」

そんなことを言っている内に、マイクロバスは自然豊かな別荘地へと入り込んでいく。 軽井沢と言えば、お金持ちの別荘が立ち並ぶという90年代イメージのままでいた小夜子である。不景気の到来から続く昨今、売り物件の多さに愕然としていた。

「うむむ、もっとほれ、庶民には手が届かんというイメージなんじゃが……」

そんな小夜子をロキが鼻で嗤う。

「俺がこの国に出てきた時は、賑やかすぎて<ruby><rb>辟易</rb><rp>(</rp><rt>へきえき</rt><rp>)</rp></ruby>としたものだ」

バブル崩壊から端を発した怒涛の凋落は、高級別荘地にまで及んでいるということか。異国の神がそれを間近に見ていたというのも、なかなか奇妙である。

マイクロバスがたどり着いたのは、いかにも別荘という邸宅であった。 八十年代当時に建築されたとすぐ分かる、当時の雰囲気を感じるどこか野暮ったい西洋風建築の三階建てである。

奇妙な一団はロキの案内で屋敷に入る。 ロキの施したルーン魔術の結界は、神の目すら欺くものだろう。しかし、この土地は日ノ本だ。<ruby><rb>伊邪那美</rb><rp>(</rp><rt>いざなみ</rt><rp>)</rp></ruby>大神の定めた呪いからは逃れられない。

邸宅に入ると、年老いた使用人夫婦が出迎えてくれた。

「今帰った。こいつらは、<ruby><rb>清美</rb><rp>(</rp><rt>きよみ</rt><rp>)</rp></ruby>を助けるために連れてきたヤツらだ」

ロキの言葉に、老夫婦はほっとした顔になる。緊張を解いた様子だ。

「清美様は、今日もお変わりありません」

老婆の声はどこか暗いものだった。 ハデス氏は邸宅の気配に気づいて、眉をひそめた。 一般人であるトミーだけは、「雰囲気あるやんけ」ときょろきょろしながら言っているが、他の面子には分かる。 神が放つ強烈な気配を塗りつぶさんばかりの、呪いが渦巻いているのだ。

「日本の冥界は、これをやるのか」

ハデス氏は吐き捨てるように言う。 それもそうだろう。これは、ハデス氏の兄でもあるギリシアの主神が行う理不尽と同質のものだ。

「お前ら、こっちだ」

ロキの後をぞろぞろとついていく。 三階まで上がって、白いドアの部屋へ入る。

ドアが開いた瞬間に、皆が小さな声を上げた。 強烈な神気が室内から発されたからだ。それは、トミーですらも圧力を感じるほどのものであった。