第90話 魔王小夜子と不味い茶 (1/2)
<ruby><rb>邪進化</rb><rp>(</rp><rt>じゃしんか</rt><rp>)</rp></ruby>人類・真亜子。 包丁や金槌といったもので武装した少女たちが、魔王小夜子に襲い掛かる。 ただの日用品である包丁が、魔王の皮膚を引き裂くのはいかなることか。
「ええい、何をしておる!」
現在の小夜子からすれば、魔王小夜子は<ruby><rb>不倶戴天</rb><rp>(</rp><rt>ふぐたいてん</rt><rp>)</rp></ruby>にして宿命づけられた敵である。弱体化しているなら好都合だというのに、苛立ちがあった。
「お前は黙ってアイツらの相手をしてればいいのよっ」
魔王小夜子は腕を奇怪な触手に変化させて真亜子たちを薙ぎ払う。しかし、それはまるで普通の怪物。魔王がやるものとは思えぬ、コンクリートを砕くのが精いっぱいというあまりに貧弱なものだ。
ギリという音が、自らが歯を噛み締めた音であると、小夜子は聞いてから気づく。
「お前こそ、引っ込んでおれ。腐り落ちよ、下郎!」
小夜子は口を大きく開けて息を吐き出す。微かに甘さの混じる吐息は、瘴気に満ち充ちた猛毒である。 真亜子たちが口を抑えるが、もう遅い。喉と鼻が<ruby><rb>爛</rb><rp>(</rp><rt>ただ</rt><rp>)</rp></ruby>れ始めると共に、膝をついて過呼吸となり、次は泡を吹いて<ruby><rb>痙攣</rb><rp>(</rp><rt>けいれん</rt><rp>)</rp></ruby>を始めた。
小夜子はそれを見下ろして、顔を歪めた。 真亜子たちは思っていたよりもしぶとい。
「……恐竜でも二分持たぬというのに。これは、いかんのう」
痙攣していた真亜子たちだが、少しして事切れた。殺虫剤をかけられた蟲に似た死にざまだ。
魔王小夜子が口を開く。
「汚いやり方だけど、助かったわ。アンタに助けられるのって納得いかないけど、今だけはお礼を言ってあげる。ありがとう」
魔王にしては随分と気弱で素直なことだ。
「礼はよい。それよりも、前も思ったがそのワンピースはなんじゃ。八尺様でもリスペクトしておるんか? あれはなんかエッチなものになっておるんじゃが」
「相変わらず訳の分からないことばかり。こんなのが私の可能性の一つだなんて、嫌になるわ」
「それはこちらのセリフじゃ。お前には<ruby><rb>外連味</rb><rp>(</rp><rt>けれんみ</rt><rp>)</rp></ruby>が足りん」
<ruby><rb>小</rb><rp>(</rp><rt>・</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>夜</rb><rp>(</rp><rt>・</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>子</rb><rp>(</rp><rt>・</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>と</rb><rp>(</rp><rt>・</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>小</rb><rp>(</rp><rt>・</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>夜</rb><rp>(</rp><rt>・</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>子</rb><rp>(</rp><rt>・</rt><rp>)</rp></ruby>は、共に苦い笑みを浮かべた。 魔王小夜子は目を逸らすように、視線を真亜子たちの死骸に向ける。<ruby><rb>一睨</rb><rp>(</rp><rt>ひとにら</rt><rp>)</rp></ruby>みすれば、少女たちの<ruby><rb>亡骸</rb><rp>(</rp><rt>なきがら</rt><rp>)</rp></ruby>に青い炎が生じた。
「念入りじゃの」
「卵を持ってたらまた増えるのよ……。それより、どうしてここに?」
魔王小夜子が言う。しかし、それは質問ではない。何を言えばいいのか、言葉に詰まって無理に出した問いであった。
「地下東京のエリンギ様がやりおった。わらわも聞くが、なんで魔王が人類の守護者なんぞやっておる? そなた、夢を喰らう<ruby><rb>獏</rb><rp>(</rp><rt>ばく</rt><rp>)</rp></ruby>の魔王じゃろ」
「普通、そういうのって後に持ってくるんじゃないの!? 空気読めない子みたいなことして、お行儀悪いわよ」
小夜子は意地の悪い笑みを浮かべた。
「そんなこと言ってる場合ではなかろうよ。こ奴ら、相当に強いぞ」
真亜子の死体は青い魔炎に包まれてなお、少しずつしか焼けていない。人類と呼ぶには、あまりにも生命として強靭に過ぎた。
「過去を塗り替えたヤツがいるせいよ。お前みたいにね」
不確定の未来とは、そういうものだ。 現在の小夜子、鳴髪小夜子、若松、篠原大樹、鳴髪くるみ、天野朱音、道反誠士、トミー、彼らの忌まわしい宿命が覆った代わりに、淫魔の力が増した。
「ままならんのう。それで、どうして人類の守護者なぞしておる? せっかく助けてやったんじゃ。教えてもらおうかの」
そこまで小夜子が言った時、ガラル氏とギャル谷がやって来た。 戦いは終わったし、毒も散らした。それが分かって一つ目仮面の魔王も来たのだろう。
「これはこれは、なかなか面白い見世物でございました。サキュバス共がこのようなものを造るとは、興味深いことです」
魔王小夜子はガラル氏を見て露骨に嫌な顔をした。
「あんた、なんてもの連れて来るのよ……。それに、そっちの子まで」
「ガラル氏は人を超越した貴き御方じゃし、ギャル谷はわらわの友達じゃ。そんな言い方をするでない」
魔王は眉間に皺を寄せていたが、ガラル氏を敵に回すのは悪手と悟る。
「立ち話もなんだし、こっちへいらっしゃい」
魔王小夜子が根城とする小学校へと迎え入れる。 どうにも奇妙なことになってしまった。
こうしている間にも、様々な情報が小夜子へと注がれている。 エリンギ様の一部である超次元菌糸が伝えるそれを、小夜子は処理しきれない。不純物にすぎない人間の遺伝子が、処理を邪魔をしている。 完全にあちら側の生物へと成れば、全てが分かろう。
小夜子にそれを捨てる気など、さらさら無い。
魔王の招きで、小学校の元は職員室であった部屋に案内される。 魔王の配下である触手をより合わせて人の形にした怪物。それがお茶を出してくれた。 年季の入ったマグカップに注がれる緑茶も、元はこの学校の備品だろうか。マグカップは教師の私物らしき使い込まれたものであった。
小夜子は茶を啜って一言。
「うわ、まずっ!? 何年前の茶葉を使うておるんじゃ!」
魔王小夜子は冷ややかな目でそれを見る。
「出されたものにそんなこと言うもんじゃないわ。何年前のかは知らないけどね」
ガラル氏は仮面をずらして器用に茶を飲む。わざわざ空間歪曲まで行使して素顔を見せないのは、何かのこだわりだろうか。
「うむ、不味いですな。しかし、昔はこれでも高級品でしたよ」
ガラル氏が言う異世界の事情はよく分からないし参考にならない。
「あーし、遠慮しとく」