第30話 アクアの領主様(後編) (1/1)
「リネアさんはこのアクアは好きか?」「ん? 好きか、嫌いかとの質問でしたら間違いなく好きとお答えしますけど、それが何か?」 村の人たちはよそ者の私たちを暖かく迎えてくれたし、食堂というお店を開いている関係上、生産者さん達とも仲良くさせてもらっている。 それに田舎と言えばそれまでだが、昔の名残りで中世を思わせるレンガ造りの家々や、浜辺や山といった魅力的な場所もたくさんあり、この地で人生を締めくくったとしても私は後悔しないだろう。 よく老後に暮らすならば都会より田舎の方がいいというけれど、まさに今の私が味わっているのがこれではないだろうか。
「その言葉を聞いて安心したよ。ごほっ」 一体領主様は何が言いたいんだろうか? まさか本当に世間話がしたいと言うわけでないだろうが、全くこの先の展開が読めないでいる。
「私に息子夫婦がいたのは知っておるじゃろ?」「はい。フィオのご両親の事ですよね? フィオが幼い頃に海の事故で亡くなったという」 確かフィオが小さい頃に亡くなった為に、ほとんど両親と過ごした記憶がないとか言っていた。 もともとフィオはご両親がお年を取られてから生まれたと聞いているので、領主様との年の差もかなりのものになるんだとか。
「見ての通り私はこの歳だ。普通考えれば私の後を継ぐのはフィオとなる訳じゃが、とてもじゃないがあの幼子では後を任せられん。フィオもお主と出会ってからは随分成長しておるが、今のままでは誰も領主とは認めんじゃろ」「それはそうでしょうね、フィオはまだ13歳です。いくら世襲制が認められているといっても余りにも若すぎます」「ふむ。そこで相談なんじゃが、お主にこのアクアの地を任せたいのじゃ」「………………は?」 今このじじい、なんつった? 私はてっきり後見者となって『フィオを見守ってくれ』とか、『フィオを学ばせてやってくれ』とかの流れかな? っと思っていた。 それがいきなり領主になってくれですって? いやいや、ないわー。
「何かの冗談ですよね?」「ふむ、お主にはそう聞こえるか。じゃが私なりにこの半年間じっくりと見定めてもらったつもりじゃ」 話によると領主様はこの半年で私が行ってきたいろんな出来事を、多くの人たちから耳にしてきたのだという。
「僅か半年だというのに多くの村人がお主の話をしておる。リネアのおかげで収穫が増えただとか、多くの商人達が村へ買い付けに来るようになっただとか、自ら経営しておる店の評判も多く耳にした。そして極め付けは村の守り神でもあるアクア様じゃ」「あっ」 言われて見て初めて思ったが、確かにこの村でのアクアの存在は守り神そのもの。 私はそれが単なる誤解から始まったデタラメだとわかっているが、なにも知らない人たちからすれば、私は村の守り神と契約してしまったことになる。
うっかりだったわ。 私は氷のことばかりで頭がいっぱいだったから、そこまで深くは考えていなかったが、今の状態だと領主として祭り上げられても不思議ではない。
「ですがアクアのことは公表しなければいいことですし、フィオだってまだまだこれからだとは思いますよ。何もそう焦らなくても」 お歳がお歳なので、一人残されるフィオを心配しての言葉なんだろうが、流石に唯一の後継を差し置いて私が領主になるわけにはいかないだろう。 そもそもフィオが若いというのなら、その二つ年上の私だって十分に若いと主張したい。
「実はの、私にはもう一人の息子がおるのじゃ」「もう一人ですか? フィオからはそんな話聞いた事がございませんよ?」 領主様にもう一人お子様がいるとは初耳だ。 これでも随分親しくなったつもりだったが、領主様からも、村の人たちかもそんな話は一度だって聞いた事がなかった。
「フィオが知らないのは当然じゃろ。彼奴が出て行ったのはフィオが生まれるずっと前の話じゃ」「それって家出みたいなものなので?」 今の領主様の言い方ではこの村の生活に嫌気がさし、一人どこか大きな街へと出て行ったと聞こえてしまう。 フィオが次期領主なのは間違いないので、おそらく出て行かれた息子さんというのは次男に当たる方なのだろう。それならば継承順位が低い本人は、早々に村を見限って大きな街へ出たいと考えたって不思議ではない。
「まぁ似たようなもんじゃ。彼奴はこの村が活気で溢れておった頃を知っておるからの、アクアの村が急激に寂れたと同時に見限って出て行きおったわ。今はカーネリンの街で商会を開いておるらしいが、詳しい事はなにもわからん」 なるほどね。 どうせ領主になれないのならば、早々に見限って新たな生活を求めて新天地へと行く。 アクアが急激に寂れた時期にはカーネリンの街が活気付き始めた頃なので、多くの人たちがカーネリンの街へと移って行ったと聞いている。おそらくその中の一人に領主様の息子さんもおり、村の人も領主様のお気持ちと裏切られたという思いから、あまり噂話もしないといったところではないだろうか。
「つまりはその息子さんが何らかの事情で、このアクアの次期領主は自分なんだと、名乗りをあげるんじゃないかと心配だとおっしゃるので?」「ほぉ、流石じゃのぉ。つまりはそういう事じゃ」 何処にでもある継承権争いという事なのだろう。 こんな田舎だとはいえ、アクアは自治権が認められたれっきとした領地。言い方を変えればトワイライト連合国家に所属する貴族の一員となる。ちなみにご領主様は伯爵様である そうなると当然いろんな事に融通がきくだろうし、連合国家内で開かれる社交界へも出席できる。 出て行かれた息子さんは商会を開いているという事なので、貴族との付き合いが広がれば、自分の店をもっと大きくさせる事だって出来るかもしれない。
確かにこのアクアの領主になれればメリットはある、あると同時に危険な香りがプンプン漂ってしまう。 その息子さんはこの村に興味があるわけではなく、ただ領主という地位が欲しいだけ。 もしその方がアクアの領主となればアクアの村は完全に放置され、何をするにも否定され続ければアクアは益々寂れていってしまうだろう。
「ですが、その息子さんが実はいい人だという事はないのですか? 例えばお孫さんが生まれていたり、そのお孫さんが出来る人材に育っていたりだとか」「どうじゃろうな。子供がいるという話は聞いておるが、私が知る限りでは彼奴自身は私や兄夫婦を恨んでおったからの」 うーん、話は一応理解は出来たが、やっぱりこればかりは部外者の私があれこれ言うべき内容ではないわね。 ただ可愛いフィオと、アクアの村がどうかなるのだけは絶対に嫌。その息子さんがどのような方は会ってみないとわからないけれど、領主様がそこまでおっしゃるのなら私は私に出来ることするしかないだろう。
「分かりました。その息子さんの事は注意しておきます。ですが私が領主になるという話は聞かなかった事にしておきますね」 なんだかんだと言って、今すぐどうかなるという話ではないからね。 領主様もまだ健在なんだし、フィオだってこれからどう成長するかもわからないんだ。 場合によっては立派な領主になっているかもしれない。
「ほぉっほぉっほぉっ、今はその言葉だけで十分じゃよ。なぁに、今すぐと言うわけじゃないんじゃ。ごほっ。私もこの通りの歳じゃからのぉ、いつ命を落とすかもわからんから、その為の保険だとでも思ってくれればいい」「それで領主様が安心出来るのならば」「それでよい。だがこれだけは覚えておいてくれ。お主がフィオは良き領主の器と認めればそれを支えてやってくれ、だがフィオがその器ではないと判断すればお主がこの地を守ってくれ。フィオにもそう言い聞かせておく」「分かりました、それでお引き受けします」
こうして私は自分が望まないままに、アクアの改革に巻き込まれていく事となる。 それが嘗ての想い人と再会することになるとは知らずに。