第16話 邂逅 (1/2)

シャルルの従者達には、敷地内に建つ別棟にて待機を頼んだ。 工房内にはレオンとシャルル、そしてエリーゼの三人が残り、レオンは二人を応接用の小部屋へと案内する。 小さな窓がひとつしか無い簡素な部屋だが、テーブルとソファが並んでおり、レオンはいつもここで仮眠を取っていた。

気まずさを感じつつも、レオンはシャルルにソファを勧め、エリーゼにも座る様に伝える、そして食器棚より銀のカップを取り出し、飲み物を用意した。 それは作業中にベネックス所長が差し入れた、低アルコールの発泡林檎酒だった。 シャルルは険しい表情のままカップを手に取ると、そのまま一気に飲み干す。 そして息を吐きながら、レオンに言った。

「未だに状況が飲み込めず、何とも言えない心境だが……」

シャルルは背中を丸めながら目を閉じると、目頭の辺りを人差し指と親指で押さえ、マッサージする様に軽く揉みつつ言葉を続ける。

「とりあえず、お前が無事で良かったよ、レオン……。お前に何かあったら、孤児院の子供達やシスターが悲しむからな」

「すまなかった、シャルル……」

「いや、元を辿れば俺の責任でもある……でも、無茶な事はしてくれるなよ……本当に……」

レオンの謝罪にシャルルは目を閉じたまま答えると、そのまま暫く口を閉ざした。 言葉が出て来ない――そんな様子だった。 シャルルの立場を考えれば、無理も無いとレオンは思う。   何年も共に過ごしたアーデルツの死。 レオンの勝手な判断で、アーデルツの埋葬が取り止めになった事実。 そのアーデルツの身体を借りて蘇ったエリーゼの存在。 シャルルが混乱するのも当然だ。 むしろ、自分は糾弾されても仕方の無い事をしたとレオンは思っている。

エメロード・タブレットに囚われた魂を救いたい、その一念で無理を通した。 しかしそこに関わるシャルルの想いにまで、考えが回っていなかった。 父に対する怒りと、早く救わねばという焦りの中で、思考停止に陥っていた。 時間と共に落ち着きと冷静さを取り戻したレオンは、改めて己の罪深さを悔いる。 その時、銀の鈴を転がす様な、可憐な声が聞えた。

「ご主人様、飲み物ありがとうございます。味わうという事を、久しく忘れておりました故、とても美味しゅうございます」

隣りに座るエリーゼだった。 手にした林檎酒のカップへ視線を落したまま、口許に微笑みを湛えている。  レオンはそんなエリーゼの、横顔を見遣る。

雪の様に白く透き通る肌。 紅色の唇。 プラチナの如くに輝く髪は、艶やかな銀糸を思わせる。 快活だったアーデルツの面影を微かに残しつつも、別人の様に優美だ。 その時、エリーゼの声に気づいたシャルルが目蓋を開き、身体を起した。

「レオン……彼女を紹介して貰っても良いか?」

エリーゼの横顔を見ていたレオンはシャルルに促され、慌てた様に口を開く。

「あ、ああ……。この子が電話で伝えたタブレットの……エリーゼだ。エリーゼ、彼は僕の友人でシャルル……シャルル・ニコラ・マール・ダミアン男爵だ」

「エリーゼと申します、ダミアン卿。どうぞ、お見知りおきを」

エリーゼは右手を胸に当て、軽く目を伏せて名前を告げる。 その作法はグランマリーの教えに則ったものだ。 容姿以上に、成熟した振る舞いだった。

「こちらこそよろしく、エリーゼ。先程は騒がせてしまい失礼した……」

シャルルもまたグランマリーの礼に倣い、自己紹介を行う。 レオンは挨拶を交わす二人を見ながら、やはり全てを説明すべきだと考える。 もとより有耶無耶にするつもりは無かった、とはいえ言い出し辛かった事も事実だ。その中で敢て空気を読まず、無邪気を装い声を上げる事で、この機を設けてくれたエリーゼの計らいがありがたい。 レオンは、二人の方へ向き直ると静かに告げた。

「シャルル、エリーゼ。今回の件……二人には詳しい経緯を話しておくべきだと思う。二人にとって、嫌な話になるかも知れないが……」

「俺は構わない、何も解らないまま放置されるよりは良い」

「私もダミアン卿と同じでございます。ご主人様、お聞かせ下さいませ」

二人の様子にレオンは軽く頷くと、おもむろに立ち上がる。 そして部屋の隅に据え置かれた書類棚から、一通の封書を取り出す。

それはベネックス所長より、エリーゼのエメロード・タブレットと共に託された、レオンの父親・マルセルからの手紙だった。 レオンは封書から便箋を取り出すと開いて並べ、内容を二人の前へ示しつつ、事の発端から順を追って話し始める。

ピグマリオンとして権勢を振るう父の話。 マルブランシュ家が覚醒状態のエメロード・タブレットを隠匿していた事。 更に、そこに刻まれた高度な技術を、独占し続けていた事。 そのタブレットがエリーゼである事。 レオンをピグマリオンとすべく、父が非常識な手段を講じていた事。 シュミット商会を介し、衆光会に所属するシャルルとアーデルツを唆し、グランギニョールへ参加させた事。 そして損壊したアーデルツの身体に、ベネックス所長より手渡された、エリーゼのタブレットを接続した事。 「……アーデルツのタブレットは完全に損壊していたが、シャルルが助命を嘆願して、条件戦を止めてくれたおかげで、身体の損壊修復は比較的容易だった。完全練成じゃないから、早期の身体移植も可能だったんだ。ただ、先述の通り、エリーゼの身体は専用に練成した物じゃない、もし身体に違和感を覚えたなら教えて欲しい、すぐに対処する……」

「ありがとうございます、ご主人様」

レオンの話を聞き終えたエリーゼは、軽く頷きつつ返答する。 シャルルは、ため息と共にソファへ身体を預けた。 その表情は暗く、苦い物に満ちていた。 やがて低い声で呟く様に言った。

「……正直、混乱の極みだ。信じられないし……アデリーの事を思えば信じたくない……そこまでするのかという思いもある。しかしそれを事実だとする証拠がこの子か……。何れにせよ、覚醒状態のタブレットを放置する行いは、グランマリーの倫理規定に照らして考えても重罪だ。しかし相手があの、アデプト・ピグマリオンとして名高い、マルセル・マルブランシュとなると、訴え出たところで司法がまともに機能するかどうか……」

正論だった。 何より、父がこのタブレットを隠匿していたという、確たる証拠が無い。 レオン宛の封書が在るものの公文書などでは無く、偽造も容易なただの手紙である事を考えれば、決定的な証拠とはならないだろう。

あの手紙の文章は、均一な線を引く為の製図用ペンを用いた上、酷く崩した斜体で書かれていた。 つまり、手紙を証拠として提出される可能性を考慮していた、という事だ。 むしろ、そう悟らせるべくその様にしたと、考えられる。

そこから考えれば、レオンにタブレットを譲ろうと思い至った時点で、己の地位が揺らぐ様な証拠は残してはいないのだろう。 それを無視して下手に訴え出たりすれば、最大の証拠であるエリーゼのタブレットを、改めて取り外し提出せよ、などという展開にもなりかねない。

何より練成機関院、そして教会上層部とも通ずる父であれば、悪質な練成技師が良く使う『叡智探求に伴う止むを得ない措置』などという、安易な逃げ口上が、普通に罷り通ってしまう可能性もある。 それ程にマルセルは、各方面で支持されている。 何れにせよ、父を訴える事は難しいだろうとレオンは考えていた。