第13話 予言 (1/2)
二階に続く大階段の上から声がした。
「諸君、ご苦労」
振り仰いだ私の目に、黒いスーツ姿の殻橋さんと、巫女服を模した白い着物を着た朝陽姉様とが、雛人形のように並んで映った。殻橋さんがゆっくりと、一段一段踏みしめるように階段を降りて来る。
「与えられた役目を、正しく遂行しているようですね。素晴らしい事です。お釈迦様はいつも見ておられますよ」
ロビーを見渡しながら道士たちに向かって話す、その視線が止まった。階段を降りる足も止まっている。私の方を見つめていた。いや、違う。私じゃない。ジロー君を見ているのだ。
「代受苦者……」
殻橋さんの足が再び動き出したかと思うと、凄い勢いで階段を降り始めた。道士のリーダーらしき男の人が、慌てて階段の下に走った。
「首導、いかがされましたか」
でも殻橋さんは彼を見ていない。ジロー君に視線を固定している。
「代受苦者が居ます」「は? はあ」
「彼に不足はないか確認しましたか」「いえ、動く事もないので、特には」
そのときの殻橋さんの目。氷のような、とはこういう目の事なのだろう。殻橋さんは怒りに満ちた声を上げた。
「代受苦者には献身をもって接すべし。それこそが仏道の神髄と心得よ。これが山王台観現総議長の思想の集大成と言って良いでしょう。君はそんな事すら理解していないのですか!」
言われた本人はもちろん、ロビーにいた道士の人たち全員が、音を立てる勢いで真っ青になったのがわかった。
「も、も、申し訳ございません」「私に許しを請うて何の意味があるのですか。頭を下げるべき相手が違います」
「は、はいっ!」
リーダーは、死にそうな顔でジロー君の前に走り寄ると、深々と頭を下げた。
「失礼致しました、いま、何かお困りの事は、ございませんでしょうか」
ぜーぜーと喉が鳴っている。過呼吸を起こしているんじゃないだろうか。でも、ジロー君は返事をしない。その美しい目で虚空を見つめ、ピクリとも動かなかった。
「ああ、無理無理」
言葉を返したのは、ジロー君の隣に座った五味さん。
「コイツは基本的にオレとしか喋らないんでね、何を聞いても返事はないよ」「そ、それでは、その」
「コイツがいま何を求めてるかって事かい? 昼飯をまだ食ってないからな、腹が減ってるはずだ。ちなみにカレーライスしか食わないけど」「わかりました、いますぐお持ち致します!」
リーダーはロビーを走り、他の道士たちの間をくぐり抜けて、玄関から外に出た。もしかして、コンビニにでも買いに行くんだろうか、カレーライス。随分遠いけど。
「うちの道士が失敬な事を致しませんでしたでしょうか。もしそうなら、首導としてお詫び致します」
殻橋さんが、こちらに近づいて来た。でも、やはりジロー君は反応しない。
「我々は、ただ仏の道に従おうとしているだけ。代受苦者に悪意はない事をご理解ください。あ、失礼。代受苦者というのは」「知ってますよ」
五味さんはタバコを一本手に持った。でも、それを咥えようとはしない。
「菩薩の行いに『代受苦』というのがある。他人の痛みや苦しみを代わりに引き受ける事だ。そこから転じて、大きな事故や災害に遭った人々、病気や障害を持って生まれてきた人なんかの事を『代受苦者』と呼ぶようになった。その人が他人の苦しみを背負ってくれた、つまり自分たちが幸せなのは誰かが不幸を背負ってくれたからだ、そういう考え方でしたよね」
私はそれを初めて知った。代受苦者。そうか、仏教にはそんな素敵な考え方があるのか。殻橋さんも感心したように笑顔を見せた。
「おお、よくご存じですね。宗教には詳しいのですか」「いいや。ガキとオカルトは大嫌いでね」
五味さんはニッと歯をむき出した。笑顔にも見える。でも威嚇しているかのようにも見える。殻橋さんの目はスウッと細くなった。
「……あなた、面白い方だ」
そこで初めて、五味さんはタバコを咥えた。そしてすかさず火を点ける。殻橋さんが眉をひそめ、道士の人たちの間に緊張が走った。そのタイミングを見計らったかのように。
「おひーさまのぼりや、おつきさまのぼりや、おひーさまのぼりや、おつきさまのぼりや」
上から突然大きな声が、続いて金切り声の絶叫が響いた。朝陽姉様だ。この感じ、きっと『お言葉』だ。大階段の上を見ると、朝陽姉様が羽瀬川さんたちに支えられながら、合掌して叫んでいる。その口から、言葉が溢れだした。血を吐くような声で。
「我は典前大覚であるぞ。日月をおろそかにする雛子ども、我が言葉を聞き知らしめよ。祟るぞ祟るぞ十文字、夜のチマタの十文字、哀れな雛子は逆さになって、赤く輝く十文字。哀れな雛子は逆さになって、赤く輝く十文字」
そして朝陽姉様は、グッタリと倒れ込んだ。羽瀬川さんたちがいなかったら、大階段を転げ落ちていたかも知れない。
「何ですか、いまのは」
殻橋さんは不快げに、口元をハンカチで覆いながらつぶやいた。
「教祖の『お言葉』です」
私は立ち上がった。殻橋さんがこちらを横目でにらんでいる。
「『お言葉』? 何ですそれは」「天晴宮日月教団の教祖は代々、霊媒体質の者が務めています。自らの体に精霊を宿らせて、人間界の外からの視点であらゆる事を見通すのです」
「精霊ですか。それはそれは。典前大覚とかいう個人名を出していたようですが」
確かに、朝陽姉様は父様の名前を口にした。それは何を意味するのだろう。
「大覚は先代教祖です。こんな事は初めてですが、おそらく」そう、おそらくは。「先代の霊魂が憑依したのではないかと」
はっ。殻橋さんは鼻先で、心底馬鹿にしたように笑った。
「そうですか。ここが恐山だとは知りませんでしたが、まあ百歩譲って、そのような事実が起きたのだとしましょう。それで。あの呪文めいた言葉の意味は。あれはいったい何だったのです」
「それは……きっと、何らかの警告だと思います」「警告!」
耐えきれなくなったのか、殻橋さんは吹き出すと、しばらく高笑いを続けた。そしてひとしきり笑った後。
「くだらない」
そう吐き捨てた。
「過去に死んだ者が未来への警鐘を鳴らしてくれたとでも言うのですか。それは予言であると言っているようなものですよ」「予言はおかしいですか」
私の言葉に、殻橋さんはまたあの氷のような目を向けた。
「かつてお釈迦様はおっしゃいました。吉凶の判断を捨てた修行者は、正しく世の中を遍歴するであろう、とね。占者予言者の類いは二千数百年も前から軽蔑嘲笑の対象でしかないのです。それをこの現代に予言ですか。しかも祟りとか言ってましたね。呆れ返って物も言えません。いいですか、この教団は我々給孤独者会議の傘下に入ったのです。今後そのような世迷い言は許しません。良い機会です。あなた方の腐った性根を、ここで叩き直して差しあげましょう」
周囲の道士たちが身構え、私にじわりと近づいた。冗談を言っている空気ではない。囲まれている。逃げ場はなかった。いや、一つだけ。大階段の方向だけ隙間がある。私が走り出そうとした瞬間。
「目くそ鼻くそじゃねえか」
溜息交じりの声が聞こえた。後ろから。五味さんだ。