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我が家の近くにバスが停まるようになったのは、確か九月の終わりか、十月の頭あたりからだったと思う。 窓の外からぶうん、というエンジン音が聞こえると、ぼんやりと落ちかけていた思考が現実に戻ってくる。私はそこで(ああ、バスが来たな)と頭の中で呟く。 週の半分はリモートワークで、出社せず家で仕事をしている。通勤の手間がないのはありがたいけれど、自宅と会社ではどうにも緊張感が違うというか、どうしても気が抜けやすくなる。ぼんやりのピークは大抵三時半頃に訪れ、バスはここを狙うかのようにやってくる。 バスが来たタイミングで私は立ち上がり、居室を出てキッチンへと向かうことにしている。半分はコーヒーをいれるため、そしてもう半分は階下の様子を伺うためだ。 二階建てのアパートの間取りは2DK、正直この間取りにしてはちょっと家賃が高いと思う。でも小さなアパートにしてはしっかりした造りで、築年数もまだ浅い。アクセスもいいし、私と弟の尚輝なおきのために一部屋ずつ個室を割けるのもちょうどいい。 お湯を沸かし直しながらキッチンの小窓から外を見ると、大抵はバスがアパートの前の通りを走っていくところだ。路線バスではない。盲学校のスクールバスである。 今、この真下の部屋には目の不自由な女の子が住んでいる。最近父親とふたりで引っ越してきた、小柄でかわいい子だ。まだ短い付き合いだけれど、会えばちょっとおしゃべりするくらいには仲良しになった。彼女も私のことを「近所の優しいお姉さん」くらいに認識している――といいな、と思う。 階下のドアが開き、また閉じる音と振動を感じた。階下の彼女が無事一旦帰宅したことを悟り、私はほっと胸をなで下ろす。 マグカップを持って仕事に戻る間際、私は隣の部屋のドアをノックし、名前を呼んでみる。「尚輝」 返事はない。わかってはいるけれど、それでも声をかけてしまう。

私の生活はもう何年も変わらない。仕事をし、家事をし、尚輝の部屋をノックする。声をかけ、食事を差し入れる。冷めきった食事を回収する。実家でもずっとこうだった。 尚輝のことで両親と揉めて実家を出、職場の近くに移り住んだ。そこでもまたこうやって暮らしている。この部屋に客が来ることは滅多にない。尚輝ではなく、私が他人を入れたくないのだ。そうやってずっとこの生活を維持していた。 変わってしまったのは、階下にやってきた女の子――まりあちゃんがきっかけだった。たぶん、そうだったのだと思う。と言っても彼女が何かしたわけではない。私が勝手に「そうしてしまった」だけなのだった。