第6話 会食 (1/2)

城の二階、左翼側にある客間には、片側に二十人は悠に着くことができる長テーブルが中央に配置されている。 四隅にはまるで部屋を守る結界のように、煌びやかな銀製の天使の彫像が飾られていた。城に仕える侍女たちにより、綺麗に磨かれた大きな窓から見えるのは、夜の闇と銀砂のような小さな星々。 長テーブルの上座にノルベルト王、王の右手側にオデル、左手側にフライアという配置で、会食は進められていた。フライアとオデルの後方には、それぞれラディムとヴェリスが立ち、王族らの食事風景を見守っている。 ノルベルトはヴェリスにも席に着くように勧めたのだが、既に他の従者たちと一足早く食事を済ませていたヴェリスは、その勧めを丁重に断った。 テムスノー国の森林で採れる、『オグニル』という果実をソテーした料理が運ばれて来ると、オデルは興味津々でその料理を覗き込んだ。大きな口で一口食べると、やれ甘いだの、果肉の歯応えが絶妙だのと、とにかく絶賛した。カエルの姿をした自分には歯がないので、歯応えという言い方は適切ではないかもしれないが、などと冗談も交えつつ。 会食は、終止このように和やかな雰囲気で進行した。 やがてデザートの皿も下げられ、テーブル中央に花瓶だけが置かれた状況になると、王は姿勢を正し、木の幹のような深い茶の瞳をオデルへと向けた。

「さて、そろそろ本題に行きたいところだが――。ふむ、何から話し、訊けば良いものか」

ノルベルトはしばらく顎髭に手をやり思考を巡らせていたが、ほどなくして静かに口を開き――。

「そうだな。まずは貴殿らがこの国のことを、どこでどのようにして知ったのか、教えてもらえないだろうか」

そうオデルに告げたのだった。 オデルは、壁際に佇むヴェリスに目で合図を送る。ヴェリスは頷き、一礼したあとに抱えていた資料の束に右手を潜り込ませ、テーブルへと歩み寄った。

「それでは、僭越ながら私からご説明差し上げます。まずはこちらをご覧下さい」

ヴェリスが資料の束の中から取り出したのは、一冊の本であった。表紙に文字はない。銀色で小さな幾何学模様が描かれているだけだ。

「それは?」

物珍しげな顔でフライアが尋ねると、ヴェリスは軽く小首を傾げながら答えた。

「我が国で見つかった、およそ百年前の日記帳です。とは言っても、これは<ruby><rb>複製品</rb><rp>(</rp><rt>レプリカ</rt><rp>)</rp></ruby>ですが。本物はレクブリック王国の図書館に、厳重に保管してありますので」

ヴェリスの澄んだ声が応接間に響き渡る。

「日記帳……」「はい。そしてこれを書いた人物は、ここ、テムスノー国から外へ渡った人物です。我々はこの日記帳の内容で、テムスノー国のことを知ったのです」

ヴェリスの言葉に、ノルベルトの眉がピクリと跳ね上がった。

「日記帳は、レクブリック王国の森の奥の一軒家で、最近見つかった物です。普段は誰も立ち入らない場所なのですが、森の奥に迷い込んだ狩人が、偶然見つけたのです。そしてこれに書かれていた内容は、ムー大陸を研究している考古学者たちに激震を与えました」

手に持った日記帳をパラパラと捲りながら、ヴェリスは続ける。

「内容を掻い<ruby><rb>摘</rb><rp>(</rp><rt>つま</rt><rp>)</rp></ruby>んで申し上げますと、この日記の書き手は『<ruby><rb>混蟲</rb><rp>(</rp><rt>メクス</rt><rp>)</rp></ruby>』と呼ばれる種族であり、そのせいで差別を受け続け、やがて耐え切れずに国を出た――とあります」

ヴェリスの言葉を聞いたラディムの顔が、僅かに歪んだ。ヴェリスは一度ノルベルトの顔を見やり、彼の口が開かないことを確認するとさらに続ける。

「我々が何より驚愕したのは、この部分です。読み上げます。『なぜ、彼らは私を忌み嫌うのか? 我らの祖先は皆同じであるというのに。ムー大陸の魔道士の、非道な人体実験から逃げ出してきた<ruby><rb>形姿</rb><rp>(</rp><rt>なりすがた</rt><rp>)</rp></ruby>の醜い者たち。テムスノー国の<ruby><rb>民</rb><rp>(</rp><rt>たみ</rt><rp>)</rp></ruby>は皆、この子孫であろう!』」

ヴェリスの朗読に、まるで氷を張ったような静寂が客間を支配する。その冷気さえ感じる沈黙を破ったのは、ノルベルトだった。

「……それに書いてあることは、紛れもない事実だ。『<ruby><rb>混蟲</rb><rp>(</rp><rt>メクス</rt><rp>)</rp></ruby>』というのは、フライアのように虫の姿が混ざった者のことを言う」「なるほど」

ヴェリスはノルベルトの言葉に大きく頷きながら、フライアの青い翅へと視線を送る。その隣のオデルもまた、大きな黄色の目をフライアへと向けた。

「いちいちその日記の内容の答え合わせをしていくのも面倒だな。先に、こちらから一通り説明した方が良さそうだ」「そうして頂けると、こちらとしては大変ありがたいです」

ヴェリスはノルベルトの提案に、笑顔で答えるのだった。

今からおよそ、千五百年前のこと。 ムー大陸のとある魔道士が、虫を人間に憑依させる実験をしていた。その実験の被験者として選ばれたのは、ムー大陸以外の土地から、無理やり攫われてきた人々だった。 各地ではその時の様子が伝承として残っており、それらを合わせると、攫われた人数は少なくとも五百、多くて千だと言われている。 そんなある日、ムー大陸は突如崩壊の時を迎える。 原因は不明。 その崩壊に紛れ、多くの実験体たちがムー大陸から逃げ出すことに成功した。 されど逃げ出した実験体たちは、自分らの余りにも醜い姿に絶望したという。 元々住んでいた土地には戻ることができないと判断した彼らは、人の足では容易に立ち入ることのできないこの島を見つけ、集団で移住し国を作った。 こうして人ならざる者ばかりが住まう、テムスノー国ができたのだ。 だが時の流れと共に、彼らの身体に流れる虫の血は、次第に薄らいでいった。そしていつしか、虫の姿をしていない『普通の人間』の数の方が多くなっていたのだ。 その普通の人間たちが、虫の部位が残っている者たちを『<ruby><rb>混蟲</rb><rp>(</rp><rt>メクス</rt><rp>)</rp></ruby>』という『虫の血が流れる者』という意味を込めた俗称で呼び始め、やがてそれは瞬く間に国中に浸透し、後の時代まで続くこととなる。

以上が、ノルベルトが語った内容であった。 真剣な眼差しでメモを取りながら話を聞いていたヴェリスに、ノルベルトは話しかけた。

「この国についての説明はこんなところか。何か質問はあるだろうか?」「では、私から一つ。なぜ『人間』は、そこまで『<ruby><rb>混蟲</rb><rp>(</rp><rt>メクス</rt><rp>)</rp></ruby>』を忌むようになったのでしょうか」

オデルが問うと、ノルベルトは一度目を伏せる。皺の刻まれた穏やかな目元が、一瞬だけ険しいものになった。

「『下』に見ることで安心したかったのだろうな。寂しいことだが、心が満たされていない者が多かったのだろう……」

喉の奥に小石が挟まったかのように、やっとそれだけを言うノルベルト。オデルはそれだけで彼の言いたいことを何となく理解したのか、次いで言葉を発することはしなかった。

「今度は私から訊いても良いだろうか?」「何なりと」

ノルベルトに答えたのはヴェリスだ。ノルベルトはヴェリスとオデルの顔を交互に注視しながら続けた。

「貴殿らがこの国に来た目的は、オデル王子を元の姿に戻すためだと言ったな。それについても、その日記に書いてあるということか?」「……では読み上げます。『王宮で人間の姿に戻るための研究をしているという。しかし、千年以上も前から研究は進められているというのに、未だにその成果はない。恐らく私の寿命が尽きる時も、<ruby><rb>混蟲</rb><rp>(</rp><rt>メクス</rt><rp>)</rp></ruby>が人間の姿に戻る方法など見つかってはいないだろう。だから私はこの背中の<ruby><rb>翅</rb><rp>(</rp><rt>はね</rt><rp>)</rp></ruby>を使い、選民意識の蔓延する国を出たのだ。』」

再び朗読したヴェリスは手に持った日記を少し下げ、これで終わり、という趣旨の目線をノルベルトに送った。 ノルベルトは眉根を寄せた。ヴェリスが今読み上げた日記の内容は、『人間に戻るための研究をしているが、一向に方法は見つからない――』ただそれだけの内容である。 説明不足だ、と言いたげな表情のノルベルトに向かい、オデルが口を開いた。