第12話 保護者の憂慮 (1/2)

鳥が羽を広げたような構造のテムスノー城。城の中央部分――皆が『胴体』と呼ぶ一階の端に、イアラが常駐している医務室はある。 その扉をノックする、一人の男がいた。ラディムが『フケ顔』と評する、兵士長のフェンである。 先の魔道士との戦いで瀕死の重傷を負った彼だが、イアラの魔法による治療と数週間の療養により、すっかり元気を取り戻していた。

「はあい」

フェンのノックに、医務室の中から間延びした声が返ってきた。この声を聞くとフェンだけでなく、皆一様に毒気を抜かれる。それは王ノルベルトさえ例外ではない。

「フェンです」「はいはいどうぞー」

緊張感のない促しに素直に従ったフェンは、中に入って早々口を開いた。

「イアラ先生、聞きました?」「何を?」「ラディムとフライア様が、地下に向かわれたそうです」「あらあらー。大変」

言葉とは裏腹に、大変だとは微塵も思っていなさそうなのんびりとした口調で言うイアラに、フェンは脱力しながら小さく息を吐くしかない。 イアラはフェンの様子などお構いなしに、薬の瓶が並ぶ戸棚を整理し続けていた。その瓶の内の一つを手に取り、しげしげと眺める。透明度の低い緑の液体が入ったそれは、ラディムらが採ってきたハラビナの葉をすり潰して作った薬だ。

「王が直々に許可を出されたらしいので大丈夫だとは思うのですが……。いや、でもここのところ地下から不審者がやってきておりまして。今日も一人捕まえたのですが、特に何をしたわけでもないのですぐに釈放されました。しかし不気味ではあります」

イアラは所狭しと並んだ瓶とにらめっこをしていて、何も答えない。

「それに、ラディムもまだまだ未熟なところが――」「フェンさん」

言葉を遮られたフェンの目が、わずかに見開いた。このあくせくしない城の専属医が、会話に割って入るようなことは滅多にない。 面を食らった顔を晒すフェンに、イアラは太陽のような笑みを浮かべながら続けた。

「あの子を、信じましょう?」「イアラ先生……。しかし――」「断言するわ。彼は地上で暮らす<ruby><rb>混蟲</rb><rp>(</rp><rt>メクス</rt><rp>)</rp></ruby>の中では、間違いなくトップクラスの能力を持っている。二種混じっている混蟲なんて、私の知る限り今の時点では存在していないもの」

過去には多少はいたかもしれないけどね、とも付け加えるが、フェンもその意見には同意だった。 なにより、戦い方をラディムに指導したのは他ならぬフェン自身だ。彼の持つ身体能力と扱える魔法の豊富さに、フェンも何度舌を巻いたかわからない。彼の鼻が高くならぬよう、その心を直接伝えることはしていなかったが。

「でも、イアラ先生。ラディムは家を出てからすぐにここに来た。あいつは世間というものを禄に知らないんですよ。俺はそこが心配で――」「そうかしら? 大丈夫だと思うんだけどなあ」「あいつは、子供なんです」「確かにここに来た時は子供だったけれど、もう十七になるのよ。ほぼ大人じゃない」

すぐさま返ってくるイアラの返事に、フェンは思わず眉間を押さえていた。フェンの様子を見たイアラは静かに笑い始める。

「フェンさん、本当にラディム君の保護者みたいね。あなたが命を救った弟分が心配なのはわかるけれど、あれからもう五年が経っているのよ? 子供って、大人が思っている以上に一年で成長するんだから。過保護が成長を阻害することになるわよ?」

年齢不詳の専属医はニコニコとそう述べたのだった。 過保護、と称されたフェンは苦い笑みを浮かべることしかできない。薄々自覚はしていたが、ラディムのことになるとどうも自分は必要以上に不安を抱いてしまうらしい。

「とりあえず今はそのことは置いといて――。私と大人のお話でもします?」

フェンの胸当てを人差し指でスッとなぞるイアラに、フェンは狼狽しながら数歩下がる。 彼女は美人なうえに、独身でもある。イアラのことを混蟲だと知らない兵士の中には、彼女に憧れ以上の心を抱いている者もいた。その兵士らにこの現場を見られてしまったら、たちまちフェンの立場は危ういものになるだろう。主に嫉妬の対象として。

「と、とにかく、またあいつがイアラ先生のお世話になるかもしれないって事で。し、失礼します!」

フェンは逃げるように医務室から出て行くのだった。

「あらあら。あんなに顔を赤くしちゃって。フェンさんも可愛いところあるのねえ」

半開きにされたままの医務室の扉を眺めながら、イアラは一人でコロコロと笑った。

「大丈夫よ、フェンさん。ラディム君と姫様が一緒なら――。あの二人なら、混蟲と人間との間にできてしまった溝を、きっと埋めてくれる。新たな歴史を、作ってくれる」

金髪の城の専属医は目を閉じ、何かを確信したように穏やかに呟くのだった。

真昼並とは言わなくとも、足元を気にせず歩ける程度に明るい坑道内。入り口付近は薄暗かったのだが、場所によってランプの光量は違うらしい。 壁に点在するランプは、<ruby><rb>混蟲</rb><rp>(</rp><rt>メクス</rt><rp>)</rp></ruby>の魔法を利用したランプを使用している。夜になると自然に光量が落ちるようになっていた。 そのようなランプの構造など知る由もなく、ラディムとフライアは坑道内を歩き続けていた。 坑道は迷路のように入り組んでいる。 がむしゃらに進んだら間違いなく迷ってしまうと踏んだ二人は、右の壁伝いに進んで行く方法を取っていた。効率は悪いかもしれないが、確実に進むことができる点を考慮すれば、多少の時間ロスは仕方がない。 その彼らに接近する男が二人いた。 二十代前半と<ruby><rb>思</rb><rp>(</rp><rt>おぼ</rt><rp>)</rp></ruby>しき二人の口からは、酒の臭いが漂っている。見るからに『ならず者』といった風貌の二人組だ。 複眼で男らの接近に気付いていたラディムだが、あえてその場を離れることはしなかった。避けるために別の道を進むと、確実に迷子になってしまうだろう。自分たちで決めた『右の壁伝いに進む』というルールを今は徹底させたかったので、ラディムはあえて男たちの接近を許したのだった。ただし、警戒心は最大レベルに引き上げたまま。

「よう、可愛い蝶のお嬢ちゃん」「は、はい。こんにちは」