第7話 魔道士、襲来 (1/2)

飛翔するペルヴォの足元に広がるのは、城下町。そこには、未だ多くの人間で溢れ返っていた。 フライアとオデルのパレードを見るために、ほぼ国中の人間が一同に会していたのである。そこに王女と王子の逃亡に加え、他国からの攻撃が重なったのだ。まさに蜂の巣を突ついたような大混乱劇が繰り広げられていた。 それらの大喧噪を他人事のように眺めながら、ペルヴォは城に向けて飛翔していた。

「ついこの間まで、君もこの景色を見ていたんだね」

小さく呟き、眼前に迫ったテムスノー城を見据える。 あと一年、早ければ――。 ペルヴォは悔しくてならない。千五百年の内の一年など、誤差に等しい単位である。ペルヴォは知らず、唇を噛んでいた。 鳥が羽を広げたような形状の城が、目前まで迫る。ペルヴォには、その城が来る者全てを歓迎しているようにも見え、少し安堵した。

ムー大陸の崩壊時、命からがら難を逃れたペルヴォは、アルージェ国よりもさらに西の国に辿り着いていた。 崩壊の際に多量の瓦礫に巻き込まれたペルヴォは少なからず傷を負っていたのだが、親切な住民たちにより介抱されることになる。 その時心身ともに疲労していたペルヴォは、自分が魔道士だということを黙っていたうえで、治療を甘んじて受けていたのだ。 傷はすぐに癒えたが、ペルヴォはしばらくはその地に留まった。そして<ruby><rb>戯</rb><rp>(</rp><rt>たわむ</rt><rp>)</rp></ruby>れに様々な道具を作っては、時々住民にあげていた。 例えば、飲むと数時間後に絶命する毒薬。 例えば、仕留めた獲物の動きをすぐに止める麻酔針。 他にも必ず悪夢にうなされるお香や、一時影を消すことができる香水まで。 中でも人間をカエルの姿にする秘薬は、ヴェリスに『締め』を決めてもらったことから、彼は大いに気に入っていた。 大陸の西端にあるその国は、呪術的なものが信仰されている珍しい土地でもあった。そのせいか、ペルヴォが魔道士ではなく優れた呪術士であると、人々は信じて疑わなかったのである。

様々な『呪術』の道具を作り出す生活は、ペルヴォにとって楽しいものであった。ムー大陸にはなかった材料も多くあっただけに、彼はいつしかのめり込んでしまったのだ。 ヴェリスのことを、一時的に忘れてしまうほどに。 集中すると他のことが見えなくなる研究向きの性格が、この時ばかりは災いしたところだろうか。 数年経った頃、ペルヴォはようやくその地を離れることにした。ヴェリスを探しに行くためだった。 ヴェリスのことをようやく思い出したペルヴォは、彼女も自分のようにどこかで生きていると、頑なに信じていた。

ペルヴォがその地を去った後も、彼が作った様々な道具は、その地の呪術士に受け継がれていった。だが、呪術を嗜むのはほとんどが女性であった。ペルヴォが彼らに受け入れられていたのは、両性具有のような神秘的な存在だと思われていからだが、それは彼の知るところではなかった。 長い年月を経ていく内に、人々の記憶も薄れていく。やがてペルヴォが作った物は『西の国の魔女が作った』とされていったのだ。

『西の国』を離れたペルヴォは、その時はまだアルージェ国とは呼ばれていない国へと移動した。大陸をほぼ横に縦断する巨大なその国には、人が足を踏み入れたことがない山々が無数に存在していた。 魔道士が身を隠すには、またとない地理であった。 ヴェリスの実験はなかなかに過激であったから、人間たちに歓迎はされていないだろうと彼は予想していた。だから、<ruby><rb>人気</rb><rp>(</rp><rt>ひとけ</rt><rp>)</rp></ruby>のない場所を中心に探していたのだ。 その予想は、極めて正解に近しいものであった。事実、彼女は隣の国の木の中で眠っていたのだから。 だが、ペルヴォは知らなかった。 この時既に、<ruby><rb>混蟲</rb><rp>(</rp><rt>メクス</rt><rp>)</rp></ruby>だけの国『テムスノー国』ができていたことを。そして、既に国を出ていた混蟲がいたことを。

ペルヴォが混蟲の集団と出会ったのは、本当に偶然でしかなかった。 魔道士と混蟲の歴史を眺めてみれば、それはもはや運命でしかない出会いではあったのだが。それでも、ペルヴォは運命だと認めたがらないだろう。 彼にしてみれば、それは不幸な事故としか言いようのないものであったからだ。 この時テムスノー国はまだ『次の世代』が生まれておらず、純粋な混蟲しかいない状態であった。 彼らこそ、ヴェリスに直に体をいじられた『実験体たち』そのものであったのだ。 とある無人島を見つけ、そこで生涯を終えると決意した多くの実験体たち。だが中には、移住を拒んだ者も僅かながらいたのだ。 醜い姿で家族の元に帰ることはできない。だがせめて、少しでも近い場所に――と。 ペルヴォが山奥で出会ったのは、そのような混蟲たちであった。 人間とは呼べない、異質な存在。ペルヴォはすぐに、彼らがヴェリスの実験体だということに気が付いた。 虫と人間、そして魔導士を一つに合わせる実験はペルヴォから見ても物珍しく、興味を惹かれるものであった。故に、何度か彼女の実験の様子を見学したことがあったのだ。見学は彼女の気を引くための下心も含まれていたのだが、実験の内容がペルヴォの興味に触れたのも事実であった。 彼らはペルヴォがムー大陸の魔道士だと知った途端、血相を変えて飛びかかってきた。 ペルヴォにしてみれば、彼らを一掃するなど<ruby><rb>容易</rb><rp>(</rp><rt>たやす</rt><rp>)</rp></ruby>いことであった。にも拘わらず、ペルヴォは彼らの手により、山中に埋められてしまう。 理由は複数あった。 一つは、ペルヴォがヴェリスの行方を探していたこと。 好奇心旺盛なヴェリスのことだ。生きていれば、必ずや彼らを探しに行くであろうと予想していた。ペルヴォは刹那の間に、この実験体たちは、ヴェリスを探すための『餌』になり得る――と判断した。故に、ペルヴォは彼らに手を下すことを端から放棄したのだ。 一つは、彼らが魔法道具を複数所持していたこと。 ムー大陸の崩壊の際、彼らはヴェリスの私物をいくつか手にしていたのだ。その中には、結界も含まれていた。結果的にその結界により、ペルヴォは長年閉じこめられることとなってしまう。 実験体たちが持ち出していたのは、紅色の宝石だけではなかったのだ。記録媒体である宝石以外は、後世に残らなかっただけなのである。 混蟲たちがペルヴォに対して『閉じこめる』という選択をしたのは、少しでも苦しみを与えたかったからだ。 そしてもう一つは、この時のペルヴォの魔法力が、そう残っていなかったことにあった。『西の国』を立ったペルヴォは、魔法の力を使い飛翔し続けていた。 魔道士にとって、空を飛ぶことは容易い。だが、渡り鳥のように長距離を移動することは不可能であった。 飛行の魔法は使う魔法力が存外に大きく、すぐに力尽きてしまうからだ。ヴェリスがテムスノー国にわざわざ船でやって来たのも、同様の理由からである。 加えてペルヴォは、老化の進行を止めるため、全身に魔法を巡らせ続けていた。既に彼はこの時から、老化を抑える魔法を使用していたのである。 すべては、ヴェリスとの再会のため。 どうしてここまでヴェリスに惹かれるのか、ペルヴォは自分でもよくわからなかった。だがペルヴォから見たヴェリスは、間違いなく魅力的であったのだ。 容姿だけではない。自身の探求心のため、わざわざ下界まで行ってしまう行動力。 そう、彼女の飽くなき探求心こそに、ペルヴォは惹かれていたのだ。 自分たちがムー大陸の魔道士の中でも、殊さら異質な存在であったことは自覚している。何せ、大陸が崩壊するほどのクーデターにすら興味が湧かなかったほどなのだ。 だからこそ、自分と性質の似たヴェリスを、ペルヴォは誰よりも欲していたのかもしれない。

脳裏にヴェリスの姿を描きながら、ペルヴォはテムスノー城のテラスに着地した。 テラスには二人の兵士がいた。彼らは空から現れたペルヴォに大層驚きながらも、鋭利に光る槍の穂先を彼に向けた。

「随分と物騒な歓迎だね」

顔色ひとつ変えず、ペルヴォは目だけを動かして二人を交互に見る。それだけであったのに、二人は威圧されたかのように少し槍を引いた。ペルヴォはそこでにっこりと微笑むと――無言のまま掌を二人に向けた。 何の前触れもなく、ふた筋の炎が走った。 縦に、横に。 まるで生きているかのような動きの炎は、トカゲのように二人の全身を走り、包みこんだ。 二人には苦痛の声を上げる時間すらなかった。いや、自分の身に何があったのかも自覚できなかったかもしれない。 二人の人間であったものは、数秒を待たずして<ruby><rb>灰燼</rb><rp>(</rp><rt>かいじん</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>帰</rb><rp>(</rp><rt>き</rt><rp>)</rp></ruby>してしまったのだ。