第16話 親玉はどこだ (1/2)

青い月が森の木々を照らす中、一匹のコリスが幹伝いに地面へと降りた。真ん丸な瞳を忙しなく左右に向け、鼻を利かせてはエサを求めだす。やがてドングリを抱えると、物陰に隠れては、前歯でかじった。収穫は上々か。満足のいく味わいのようで、中の実を噛み締めてはニッコリ微笑んだ。

ガジガジ、ニコッ。ガジガジ、ニコォ。

そうして忙しくも美味しい食事にありついていると、不意に大きな影に包まれた。気配を完璧に消し去った男が、風下から現れたのである。数十倍の体格差だ。コリスは手元のドングリを落とし、全身を恐怖で震わせた。

「ふむ。お前を食っても、腹の足しにはならないな」

月明かりが、アクセルの顔を青く照らす。そしてコリスをつまみ上げると、木の枝に乗せてやった。

脱兎の勢いで逃げていく小さな獣。その背中をアクセルは黙って見送った。ふと、脳裏に閃きが生じたのは、そのタイミングだった。

「あやつらは木の実を食べる。そしてより大きな獣に食われる。大きな獣は、更に大きな獣の糧となる」

この世のあまねく命は輪のように繋がり、切り離せない因縁がある事を知っている。その中で、人間は上位に属しており、狩る側の立場であるという事も。

行商にしろシボレッタの露店にしろ、扱う肉の種類は豊富で、量も山を為すほどだ。屠殺した家畜だけでなく、野生の獣も珍しくない。

「命は、別の命を喰らうことで生きながらえる。では、魔獣達はどうだ?」

明らかに異質な存在だった。稲光から現れ、倒せば煙となって消えてしまう。狼やイノシシの死体を見かける事はあっても、一度だって魔獣リザードマンのそれは目にした事がない。何を食べ、どのようにして命を繋ぎ、繁栄してゆくのか。それらの全てが謎で、不可解な生態だと言えた。

「魔獣どもの生きる目的か……。そういえばクライナーが何かヒントを言っていたような?」

アクセルは、まだ記憶に新しい出来事を脳裏に浮かべた。眉をしかめるあたり、彼としても心地よい過去ではないらしい。

――テメェに食わせるパンなんかねぇ! 樫の木の皮でも食ってろや。

――そんくれぇ察しろよ。頭が悪けりゃ勘も悪いゴミカス野郎め。

――何編言わせんだ、クライナー様と呼べよ殺すぞ! オウ?

ろくな情報が出てこない。単純に苛立ちが募るだけだった。

「殺すとは何度も言われたが、結局は私が殺したのだった。これを世に言う、意趣返しというもの……」

アクセルはその時、不意に気配を感じた。肌に貼り付くような、不快な視線まで向けられる。今は真夜中で、用も無く山道を歩くものなど居やしない。街道側ならまだしも、草木の生い茂る獣道である。

更には、尋常でない闘気まで伝わってきた。

「魔獣どもは鼻が利くらしい。ならば気配を殺す意味も無いな」

前方に2体、後方に1体。付かず離れずを保ちながら、歩き回るアクセルを追跡していた。食料を求めにやって来たのだが、計画変更。ここで魔獣を殲滅出来たなら、手間が省けるというものだ。

「襲ってくる気が無いのか。何かを見計らっている?」

遠くで怪しく煌めく赤い光。魔獣グレイウルフの、狂気に染まる瞳である。それらは小刻みに位置を変えながら、付近を駆け回った。どこか、アクセルを誘導するような動きである。

「きっと罠だろう。だが、乗ってしまった方が手っ取り早い」

アクセルは、前方の光を頼りに山道を駆け回った。雑草を掻き分け、茂みを乗り越えて、大木の脇を通り過ぎようとした。その時だ。

頭上から微かな音、重たい風も降り注ぐ。剣で受けるか、いや間に合わない。その場で前転して転がり、猛烈な攻撃を避けた。

すると元いた場所は地面が砕け、大きなクレーターが刻みつけられた。

「お前は、ギルゼンの取り巻き……」

男は大剣を持ち直しては振り向いた。真っ赤な短髪に鋭い眼。全身に残る傷跡も手伝い、威圧感が凄まじい。

「今のを避けたか。まぁ、これぐらい出来なくてはな、魔獣にむざむざ殺されるだけだろう」

翻る黒色のマントも、戦略的価値が高そうだ。実際アクセルは近寄るまで、相手の存在に気づけなかった。

「私に何の用だ。魔獣を見失ったら困る。後にしろ」

「ほぉ。では闇雲に駆け回っていたのではなく、追い駆けていたと言うのだな?」

「近くに3体居る。誘うような動きを繰り返した」

「そうか。お前が逃げ出すようなら斬れ、と命じられていた。今の一撃を避けた事からも、中々の遣い手だと分かった。大口を叩くだけの事はあるらしい」

「それよりも退け。魔獣を見失いかねない」

「良いだろう。だが念のため監視は続けさせてもらう」

「好きにしろ」

アクセルはそれからも駆け続けた。追走するように、先程の男が枝伝いに飛び回っている。鬱陶しいと思いつつも、遂には何も言わなかった。

「アクセルよ。止まれ。周りに気づかないか?」

「殺気がより濃くなった。敵の数も増えているようだ」

「どうやら、魔獣にとって快適な地勢らしい。このまま行くのか? 相手の庭で闘うようなものだぞ」

「お前には関係ない」

「その通りだ。オレはあくまでも監視者だからな」

そんな言い合いも、目の前の景色が変わった事で止まる。そこは斜面が削られており、長方形の穴が空いていた。人間が掘ったとしか思えない精密さも感じられる。

「これは、何の為のものだろうか」

「採石場かもしれん。それにしても脈絡がない。付近に整備された様子も無し。ギルゼン様から事前に聞かされていたなら、オレも驚きはしなかったのだが」

「本当に採掘場か? これを見ろ」

アクセルは穴に降り立った。それほど深くはなく、せいぜい大人1人分だ。そして月明かりが照らす人影の方へと歩み寄った。相手は微塵も動かない。それは等身大の石像であったからだ。

「この辺りの風習では、採掘場で彫刻をするのか?」

「まさか。聞いたこともないし、意味があるとも思えん。観光地として芸術作品を展示する事はあるが、なぜこんな所に?」

「分からん事ばかりだ。それにしても、この石像の表情よ。芸術と呼ぶにしても悪趣味だと思う」

老若男女、モチーフの幅は広いのに、表情はおおよそ一貫している。全てが苦悶の表情ばかり。まるでこの世の全てを恨むかのような、あるいは運命を呪うかのような顔だった。

「そうか、分かったぞアクセル。これらは魔獣の被害者たち。言うなれば遺体なのだ」

「遺体? この石像が?」

「説明しても良いんだが、時間切れらしい。オレはここで高みの見物をさせて貰おう」

男は大木の枝に乗り、嘲るように言った。

すると間もなく、辺りに遠吠えが鳴り響く。魔獣の気配は数を増やし、アクセルを取り囲む態勢になった。

「何のことが分からんが、ともかく討伐するのが先か」

四足が枯葉を踏む。前後左右の全てから。アクセルは今、穴の中だ。攻撃の全ては上から来ると分かり切っていた。

さほど脅威は感じない。素手で構えて迎え撃つ。牙を剥き出しにして落下する魔獣。身を屈めて避けて、腹を殴りつけた。振り向きざま、もう1体の首を蹴飛ばした。

残すは、離れた位置に降りた2体。今度は先手を取る。潜りこむように駆け出す。それは誘いで、相手とぶつかる寸前に翔んだ。宙空で旋回して、かかとを背中に叩きつける。後は1体のみ。しかし、着地を狙われた。アクセルは足下を噛みつきによって襲われ、ついにはかすり傷を負わされてしまう。

「おのれ。素早い連中だ」

「残念ながら、お前はお終いだアクセル。間もなく死に至るだろう」

「何だと……!?」

アクセルはすかさず異変を察知した。先程受けた傷口が灰色に染まり、周囲の肌からも色を奪っていく。まるで石化しているかのようだった。

「これは、どうした事だ……!」

「グレイウルフには石化の能力がある。そのため、討伐には細心の注意が求められる。お前は自身の強さを過信しすぎたな」

「クッ……足が、重い……!」

「もっと健闘するかと思ったが、期待外れだ。まぁ、冥土の土産だと思え。世界は危険で満ち溢れていると知れただろう」

石化の進行は速い。既に左足全体が侵されており、腹を回って胸と右足にも侵食し始める。完全な石像になるまで秒読みという状況だ。