第16話 親玉はどこだ (2/2)

「ならば、師匠より譲り受けし、この秘薬を……!」

アクセルは不自由な体で薬を取り出し、傷口に塗りつけた。しかし、すぐに石化の効果が押し寄せ、ついには全身にまで及んだ。アクセルの彫刻。それは足元から物を拾い上げる姿勢のままで、硬直していた。

「死んだな。まだ手合わせをしていないのに、少しもったいなかったか。いや、向こう見ずな男だ。大した者でもあるまい」

監視の男は眼下の光景を見て、そう言い放った。抑揚の弱い、体温を感じさせない響きだ。

しかし次の瞬間、アクセルの足首が七色に煌めきだす。それは足を伝って腹に胸、最後は頭までを輝かせた。そして何事もなかったように、その場で立ち上がった。

「ふぅ、さすがに肝が冷えた。賭けに近いものだったが、上手くいった」

「なぜ無事なんだアクセル!? お前は本当に人間か?」

「一応は人間、だと思う。血の色もお前たちと同じだ」

アクセルはノンキな口ぶりとは違い、猛然と駆け出した。最後の一体、及び腰になる魔獣を蹴散らし、構えを解いた。

しかし次の瞬間。辺りに稲光が走り、黒煙が巻き上がる。そしてグレイウルフが1体、また1体と姿を現した。

「これは、キリがないな」

「知らんのか、ならば聞けアクセルよ。手下を何体滅ぼしても無駄だ。親玉を討つまでは終わらんぞ」

「そうか。ならばソイツを倒すのみだ」

アクセルは魔獣の猛攻をかわしながらも、その親玉について見当をつけていた。第二陣の登場からして、こちらの様子を窺える位置にいる。つまりは、戦場の窪地を見通せる場所となり、それは限られていた。

しかし、辺りは深い闇夜。木の陰に隠れる程度でも、見つけ出すことは困難だ。相手の気配を探ろうにも、数多の殺気で溢れる状況では難しい。

「一瞬だ。蠢く殺気の途切れる瞬間に、気配を察知できれば……」

依然として続く猛攻をさばきながら、意識は穴の外へ向けていた。相手の気配が零れ落ちるその瞬間を、虎視眈々と待ち続ける。

一瞬のチャンスを待つ状況は、あの時に似ているなと思った。

あれはいつの頃か。師匠ソフィアがローブを新調した時のこと。サイズ選びを失敗した為に、胸元が酷く緩んでいた。

「良いかアクセルよ。横薙ぎとはこうやるのだ」

眼前で、ソフィアによって実演される技の型。前かがみの姿勢で大きく動くので、双房が大きく揺れる様が胸元から見えた。あと少し。ほんの僅かなズレで、魅惑の先端が零れ落ちそうである。

「重心は中心を意識。左右にブレない。丸太が背中に通った気になりながら、腰の回転を伝えるようにしてだな」

大きな動き。ブルンブルンのポヨン。アクセルは冷静に観察し、その瞬間を待ちわびた。縦に横に揺れる柔らかで温かい塊。いつか自分だけのものになる大双丘。視る。ただじっと、凝視する。その時が来るまで、まばたきも忘れて。

そして今、大ぶりの一撃が走り、ローブの形が儚くも崩れてゆき……。

「見えた!」

アクセルは暗闇に向けてナイフを投げつけた。すると、小さな悲鳴の後、何者かがその場から遠ざかった。

その動きに合わせて、周囲を取り囲む魔獣も撤退した。全ては一瞬の出来事で、追撃など不可能であった。

「どうやら親分とやらに当たったらしいな」

「中々の腕だなアクセルよ。しかし、いくらか危うかった」

「確かに無謀だったかもしれん。だが、収穫は十分だ」

アクセルは地面に転がるナイフを回収した。その刃は、真っ赤な血に染まっていた。

「手の甲に当たった。良い目印になるだろう」

「なるほど、確かに傷は目立つだろう。しかし、自らを命の危険に晒してまで仕事に励むとは。一体何を考えているのやら」

「そういった強さはコウヤ村で教わった」

「コウヤ村? 知らんな」

「それよりもだ。監視はもう良いだろう。私は逃げも隠れもしない。いい加減つきまとうのは止めろ」

「そう言われても仕事なんでな。村から離れる時は、誰かしらが監視する事を覚えておけ」

「もうシボレッタに帰るだけだ。手傷を負った者を探したい」

アクセルは、男を撒くつもりで駆け出した。しかし、追跡は厳しく、一向に突き放すことが出来なかった。

やがて街道に戻り、間もなくシボレッタ村という坂道で、彼らは見た。闇の中、燃えさし一本という頼りない灯りを手にする少女を。

「アクセルさぁん。無事なの? 大変な目に遭ってない……?」

戻るのが遅れたために、サーシャが探しにやって来たのだ。アクセルはすぐさま、彼女の前に舞い降りた。

「すまない、だいぶ待たせたようだな」

「アクセルさん! 良かったぁ、あんまりにも遅いから心配で心配で……。怪我はない?」

「そうだったのか。怪我は、無いと言ってしまって過言ではない感があると思う」

「何その言い回し……。もしかして危ない事してたの?」

「それよりもだ。魔獣の親玉が分かるかもしれない。まずはシボレッタに戻ろう」

「えっとね、それも大事だけど、ホラ。ご飯にしようって話してたよね?」

「あっ……」

この時になってアクセルは思いだした。そして徐ろに付近に目を向け、闇へ小石を投げつけた。確かな手応え。そこには力なく倒れる蛇の姿があった。

「晩飯はこれだ。皮をひん剥いて焼こう」

「アハ、ハ。わいるどぉ……」

それから門の外で火を起こし、調理を始めた。蛇の頭を落とし、毒嚢(どくのう)を取り去り、水でよく洗う。ギュギュッと身を絞って適度に血抜きして、皮をはいだら串刺し。後は火に当てて、表面が狐色になるまで焼き上げる。フツフツと弾ける脂が香ばしく、空きっ腹を刺激するようだ。

最初は難色を示したサーシャだが、脂の匂いには勝てなかった。そして齧りつくなり美味い、脂が甘いと大喜びになる。アクセルにとっては慣れた料理で、特に感銘はない。いつの間にか、監視の目が消えたと思うだけだった。

それからはシボレッタ村に戻り、仮眠をとる。宿屋に泊まれない身分なので、こっそり厩(うまや)に侵入した。敷き詰めたワラを寝床にするつもりだった。

「すまんな。一晩厄介になる。悪さをするつもりは無いから安心してくれ」

最初は驚いた馬だが、アクセルの臭いで腰砕けになり、すぐに惚れ込むようになる。長い顔を延々擦り付けるという、熱烈な歓迎だ。

「サーシャ。泊まって良いらしい」

「あの、アクセルさん。先客が居ますけど、タヌキが……」

「ふむ。近寄らなければ平気だろう。同じ下宿人として、仲良くしたいものだ」

2人に2匹という大混雑。しかし寝心地は悪くない。身を寄せ合った事で、温かな眠りを堪能できた。晩秋の冷えなど無かったかのように。

あくる朝。アクセルは住民が起きだすのを待つと、村中を駆け回った。手傷を負った者が居れば、その人間が魔獣の親玉である。どこに居るか、隠れているのか、足の向くままに探し続けた。

店先を掃除中の酒場、窓拭きをする宿屋、荷の受け渡しをする雑貨屋。それらに携わる全ての人を見たのだが、怪我人は全く見掛けなかった。

それから大通りから路地へ曲がった所、知った顔に会った。ただし、喜ばしくない相手。虫唾が走る想いになる。

「おっと、誰かと思えば貧民剣士か。血眼になって駆けずり回るとか、貧乏暇なしとは言ったものだね」

眼前に立ちふさがるのはギルゼンだ。艷やかな茶髪を指先で弄んでは撫でる。装いも銀鎧ではなく、緑の生えるレザージャケットを着ていた。襟元を見せびらかすように、指先で払い、付いてもいない埃の事を気にかけた。

そうして見える手の甲。そこには真新しい包帯。手当して日が浅いと直感する。

「お前が犯人だーーッ!」

「えっ、何が!?」

アクセルは指先を突きつけて、激しく糾弾した。その瞳に迷いや逡巡はなく、ただ純粋な達成感だけがあった。

少し短絡的過ぎではないか。常人なら抱くだろう疑問など、過ぎりもしない。彼が突きつけた人差し指は、美しく真っ直ぐ、ただ正面に向けられるのだった。