第32話 笑って欲しいだけ (1/2)
今から遡ること10年以上前の事。まだ少年だったウセンは、陽の高いうちに出かけては、街中で遊ぶ毎日を過ごしていた。遊び場はもっぱら大広場である。当時は出入り自由だったので、それこそ毎日のように足繁く通ったものだ。
もっとも、他の子供たちに混じる事はしない。棒切れを手にしての騎士団ごっこも、池や噴水での泥遊びも、砂山を城に見立ててのオママゴトも興味をそそられなかった。正確に言えば、誰かと歩調を合わせて遊ぶ事を苦手としていた。
だからウセンは一人きりで、花壇の花を眺めては愛でる。あるいは虫を追い回して捕まえる。そんな子供だったのだ。
しかしある日の事。大広場にて、普段なら見掛けない少女を見つけた。シルクのドレスと高価な装飾品から、貴族の御令嬢であると分かる。少なくとも、貧民街に住まう子でないと。
(何てキレイな女の子だろう。まるでお姫様みたいだなぁ)
ウセンは思わず見惚れる。子供らしからぬ澄ました表情に、精練された所作。所詮は生きる世界の違う存在だ。声をかける事もなく、普段の遊びに没頭しようとした。少女からは、他者を受け容れるような気配も無いのだし。
それでも、高潔な気配の持つ引力は凄まじい。視界の端で盗み見るように、顔の角度を保つ。直視は無礼に当たる。ウセン少年は囚われの姫を救い出す騎士ではなく、洒脱を解する貴族の子弟でもない。ただ平伏して畏れるだけの、貧民の子なのだ。
やがて、その少女が此方に向かって歩き出した。足音は徐ろに、だが着実にウセンの方へと近づいている。カツリ、カツリ。一歩、また一歩と音が鳴るなり、少年心は弾んで高鳴る。
それから音が止むと、今度は麗しい声に代わる。鈴が鳴るような、鳥が囁くような、耳に心地よい響きだった。
「そこのお前。何をしているのです」
子供とは思えない、威厳に満ちた口調だ。ウセンは初めのうちは自分の事だと思わなかったが、やがて理解する。何の因果か、少女の方から声をかけられたという事実に。
「もしかして、僕に言ってるの?」
「当然。それより質問に答えなさい。何をしているのかを」
「これは、その、花を見てるんだよ。花びらに止まってるハチとか。揺れる草花とか」
「それが楽しいとでも?」
「一応、僕としては……」
「変な子供。他の子供は阿呆面で駆け回っているというのに」
「そう言う君だって。退屈そうな顔して、ジッとしてるだけじゃないか」
「私はお前たち庶民とは、格が違うので」
少女は冷たく言い放つと、静かに顔を背けた。
ウセンはその横顔を眺める内に、胸の苦しさを覚えた。何て哀しい顔なのだろうと。もしかするとこの少女には、遊び回るどころか、肩の荷を下ろす事さえ許されないのではないか。
そう思うと、ウセンはいたたまれなくなる。何かしてやれる事は無いのか。この、名も知らぬ少女の為に、自分に出来る事はないのか。
ウセンは咄嗟に、一輪の野花を差し出した。
「いったい何の真似かしら?」
「これはね、シロユメクサっていう花なんだよ。枕元に置くと、良い夢が見られるらしいんだ」
「それを信じろと? 愚にもつかない迷信を?」
「うぅ……そうだよね。どこにでも咲いてる花なんて、要らないよね」
「いや、その、コホン。庶民からの献上品を受け取ってやるのも、務めの内と言えなくもない」
「じゃあ貰ってくれるの!?」
少女は無言で受け取ると、自らの耳元に花を差した。
「似合うかしら?」
「うんうん。凄く良いよ、カワイイと思う!」
「フン……。たまには庶民の真似事も、悪くはないものです」
「あのね、シロユメクサって、沢山ある方が良いらしいんだ。だから今度会うまでに、冠を作っておくよ。とびきりキレイなヤツをさ」
「そこまで言うのなら」
少女はそう言い残すと、護衛らしき男たちの方へと歩き去った。そして、広場の脇に停まる馬車に乗り込み、いずこかへと去っていった。それが出会った日の全てである。
ウセンは母と話す内に、少女の正体を知った。名をカザリナと言い、尊き存在であることを。なぜ貧民の自分と縁が出来たかは不明だが、約束は約束だ。純粋な覇気を漲らせては、心に違うのである。
「頑張るぞぉ! せっかくだから気に入って貰えるくらい、すっごく上手なヤツを作るんだ!」
それからというもの、ウセンは冠作りの練習を重ねた。ぜひとも少女の笑顔を見たい。何もかも忘れて、ただ喜びに染まる顔を浮かべて欲しい。少女を想う一心で、来る日も来る日も作り続ける。
初めのうちは不格好で、あるいは大きさが安定せず、中々に苦労させられた。しかし続けるだけで上達するものである。母に出来栄えを褒められてからは、更に進歩が加速した。
「出来た……これならきっと喜んでくれる! 花が枯れる前に会えると良いなぁ」
渾身の作品を携えつつ、向かったのは大広場だ。霧雨の降る中だ。流石に今日は会えないだろうと思った。
しかし予想に反して、奇跡的にも少女と再会した。奇しくも出会った場所と同じく、花壇の傍である。ウセンは、運命だと思った。最高品質の冠を、最高の状態で手渡せるのだから。
しかし彼の真心と努力は、その冠とともに踏みにじられてしまう。それは他ならぬ、カザリナの仕打ちによるものだった。
カザリナは少女に不釣り合いなヒールの裏で、何度も何度も踏みつけにした。ウセンが丹精込めて作った白い花飾りは、不様にも潰れ、雨混じりの柔らかな土に埋もれてゆく。
「私がこんなもので満足すると思うだなんて、この愚民め! そこまで貢ぎたいというのなら、純金の飾り物くらい用意してみせなさい!」
そして少女は立ち去っていった。その場に膝を屈するウセンと、泥に塗れた冠を残して。
◆
「何でしょう、ムカつく思い出ですね」
サーシャの第一声はそれだった。ウセンも共感する所があり、苦笑とともに同意した。
「言葉で聞くとそうだろうけど、彼女の真意は別にあったかなと思うんだ」
「どういう事です?」
「冠を踏みつけられた時、たぶん僕は泣いていた。だけど、彼女の顔も泣きそうだったんだ。まるで、心から苦しんでいるように。少なくとも、いつもの澄まし顔じゃなかった」
「ハァ。それで、その昔話がどうかしました?」
「そのあと、純金の装飾品とやらを探してみたんだ。街中の店先を回って、たくさんの大人に尋ねた。冒険者とも話してみたりね。でも純金の品は、普通のお店じゃ扱わないそうだよ。どうやら一点物の特注品ばかりらしくってさ」
「そういうもんですか。まぁ仮に、店売りしてたとしても、庶民に買える金額じゃないですよね」
「僕も諦めかけたよ。でもね、何年か前にやっと見つけたんだ。どういう経緯か知らないけど、宝飾店に純金製のティアラが売りに出されてね」
「へぇぇ。でもお高いんでしょう?」
「もちろん。だから必死に貯めたよ。そして、いよいよあと少しという所で、つい魔が差して、君たちのお金に手をつけてしまったんだ」
アクセル達は、事情を大まかに理解した。ウセンの気持ちも分からなくもない。だが、疑問はまだ残されている。
「どうして盗もうと思ったんです? あと少しだったら、真っ当に稼げば良いじゃないですか」
「それがそうも言ってられなくなって。噂によれば、近々カザリナ様がご結婚なさるらしい。だからそれまでに、何とかしてでもティアラを献上したいと思った。せっかく貯めた2万ディナを無駄にしない為にも」
具体的な額面が知らされると、サーシャはむせて咳き込んだ。顔色すら変えないアクセルとは対象的に。
「2万ーーッッ!? そんな大金を貯めたんですか!?」
「そうだよ。色々やりくりして10とか20ディナ貯めて、どうにかね」
「凄い……。貧乏暮らししながら、そこまで頑張れるなんて……! それじゃあ、その飾り物を買って求愛しにいくんですね? 結婚されちゃう前に急いだんですよね!?」