第32話 笑って欲しいだけ (2/2)

「いやいや、僕は庶民の中でも貧乏な方だよ? おこがましいって! あくまでも『献上』するだけさ。ティアラはそうだな、もし結婚式のどこかで使って貰えたら、それで十分さ」

「えっ、そこでお終い? 愛の語らいも無し?」

「バカみたいだろ。自分でもそう思うよ。でもね、忘れて当然な子供時代の約束を、大人になって叶えたとしたらどうだろう。きっとカザリナ様も、おかしいねって笑ってくれるんじゃないかな」

「どうして、そこまで頑張れるんです……?」

ウセンは視線を足元に落とした。自嘲気味に笑うものの、暗さは感じさせなかった。

「一目惚れだったんだろうね。あの日の泣き顔が頭から離れなくってさ。だから、あの人に笑ってもらえたら、ようやく自分の人生が始まる。そんな気がしたのさ」

その純真な言葉は、乙女心を大いに揺さぶり、涙腺を強襲した。どこか不満顔だったサーシャが、目元を拭うようになる。

「すごいですね、アクセル様。これこそ愛ですよ。真実の愛が無かったら、ここまで出来ません」

「なるほど。真実の愛とは、金を貯めて装飾品を買う行為を指すのか。ひとつ学んだ」

「ウセンさん! ちょっと前までは疑ってましたけど、すんごく感動しました! ギルドのお金は差し上げますので、貴方の愛を遂行してください!」

「本当かい? だとしたら、今日の内に買うことが出来るんだ」

「良いですね、でもお店は?」

「日暮れだから、もうすぐ締まるかも」

「ッ!? 早く行きましょう!!」

腰を浮かして慌てだすサーシャとウセン。その様を、ベッドに腰掛けたまま眺めるアクセル。辺りはにわかに騒がしくなった。

すぐにウセンが鉄の箱に手をかざし、掌を煌めかせた。すると解錠したらしく、カチリとの音とともに蓋が開く。箱の中には大きな革袋だけがある。それをウセンが担ぎ上げるのだが、ジャラリと鳴るのが、いかにも重たそうだ。

「ウセンさん、お店はどこです?」

「冒険者ギルドの斜向い、噴水広場の近くだよ」

「割と遠い……今から走って間に合いますかね?」

不安気な2人に対し、アクセルは解決策を提案した。ウセンは驚いて聞き返すものの、サーシャは即答で了承。こうして迅速移動の為のフォーメーションが組まれる事になる。

具体的にはこうだ。アクセルが金の詰まった革袋を右手に持ち、背中にサーシャをおぶる。そして左手でウセンを担ぐ。何のことはない。アクセルの超人的な身体能力を頼るだけだった。ちなみにアクセル達の手荷物はここに置いておく。

「ねぇ、本当にコレで行くのかい!?」

「アクセル様、急ぎましょう。けなげな愛を貫くためにも!」

「いや、ちょっと待って。せめて心の準備をさせて! 行く前に10からカウントダウンを……うわぁーーッ!!」

アクセルは予告なしに飛んだ。赤黒く染まる空を、大きな大きな孤を描きながら、天高く舞う。慣れきったサーシャとは異なり、ウセンは青色吐息である。

「ヒィーーッ! 死んじゃう! 落ちたら死ぬ高さ!!」

「大丈夫ですよウセンさん。ホクロの数を数えてるうちに終わりますから!」

「ほ、ホクロ!? 無理だよ、怖くって動けないから!!」

ささやかな口論が終わりを迎えるよりも、到着の方が早かった。眼下に噴水広場。尋常ではない速度で地面が迫る。そこをアクセルは、石畳を滑る要領で衝撃を殺し、やがて静止した。

「着いたな。宝飾店の真ん前だ」

「さぁさぁウセンさん。お店に急いで!」

今はまだ人が出歩く時間帯だ。付近に人は多く、皆が皆、驚愕の視線を送ってきた。

しかし、奇異の目に構うゆとりは無い。宝飾店の店主は既に入り口の前に立ち、扉の鍵を手にしている状態だった。

ウセンは腰が引けたまま、覚束ない足取りで店主の方へ歩み寄った。

「すいません! 金細工のティアラを売って貰えませんか!?」

老紳士は驚いた顔で迎えた。深く刻まれたシワが大きく湾曲する。

「おやおや。お前さん、とうとう金を貯めたのかね?」

「はい、2万あります! 店締めしたみたいですけど、今すぐ売ってもらえますか!?」

「ふむ……。残念だがのう、一足遅かったよ」

店主が寂しげな視線を通りの方へと逸した。そこには黒スーツ姿で恰幅の良い男が、馬車に乗り込もうとしていた。その手には例のティアラがある。

僅かな差で先に買われてしまったのだ。最後の最後で運に見放された形だ。しかしウセンは簡単に諦めたりしない。幼少期からの夢が、想いが、彼に一握の勇気を授けてくれた。

「恐れ入ります閣下! 先程お買い求めになったティアラについて、何卒、お願い申し上げたく!」

ウセンの声に気づいてか、貴族の男は足を止めた。そして柔和そうな笑みを返したのだが、放たれた言葉はおぞましいものだった。

「いやはや、この飾り物は安物の割に出来が良くて、中々気に入ったよ。今日は気分が良い。ここはついでに、ブッコロ出来そうな若者を連れて帰りたいな。22歳くらいの、華奢な魔術師か治療師が好ましい。断末魔の叫び声を聞きながら、熟ワインの1杯もやれたら最高だとも」

ウセンは思わず口をつぐんで退いた。遠回しな『無礼討ち』を予告されたからだ。この持って回った言い方を洒脱とみるか、面倒と感じるかは人によるだろう。ただ、分かりきっているのは、ティアラが売れてしまった事。そして、入手不可能という事実である。

やがて貴族の馬車が走り去っていく。ウセンは見送るでも、その場から動くでもなく、静かに膝を折って倒れた。

アクセル達にかける言葉はない。ただ倒れ伏して涙するウセンの傷心に、そっと付き合うだけだ。

「チクショウ、ここまで来て! やっと買えると思ったのに!」

「ウセンさん……ヅライよね」

「なぁウセンよ。ここは一度考え直そう。物事には切り替えが重要だと聞く」

「切り替えだって? フヒヒ。そうだね。その方が良いと思うよぉウケケケケケケケケ!!」

ウセンは立ち上がると、瞳孔の開いた瞳を見せつけた。すると、耳障りな声を撒き散らしては、右に左にとふらつく。かと思えば唐突に走り出し、路地裏へと消えた。

向かう先は大衆酒場だった。ウセンは扉を開け放つと、外まで聞こえる声で叫んだ。

「この店で一番高い酒を! それと、この場に居る全員を僕が奢るぞ!」

一瞬、店内が静まり返る。そして、怒号にも似た歓声が沸き上がり、感謝の声で満ちるようになる。

アクセル達が到着したのは、丁度このタイミングだった。時すでに遅し。引き返しようの無い事態にまで陥っていた。

「ほらほら、皆もジャンジャン飲めーーい! 今日は僕の夢が破れた記念日だぞぉ!」

「おっ、兄ちゃん。辛くて堪んねぇだろ? そういう時は酒だ酒。浴びるように飲んで全部忘れちまえ!」

広い店内に居合わせた客は多い。5人10人では済まず、数え上げるのに苦労する人数だった。その全てを支払うとなれば、相当の金額にまで至るだろう。

しかしウセンは向こう見ず。上品なグラスを一気に飲み干すなどした。

そこでサーシャは堪らず駆け寄り、ささやかな抗議を示した。

「あの、ウセンさん? ワタクシ達のお金は残しておいてくださいね? ティアラを買えなかったんだから、良いでしょ?」

「おやっさん! 全然酔えないぞ! いっそ樽で持って来いや!」

「ダメだこの人、全然聞いてくれないッ!?」

結局は飲めや歌えやの大騒ぎ。宴は明け方まで続けられた。こうして、ウセンが必死に溜め込んだ大金は、ここで粗方を吐き出してしまう。

革袋に残されたのは数枚の銅貨のみとなった。無事に宵を越した金は、実に微々たるものだった。